「そっか。否応なしに断捨離が進んだのは、古い確執を手離すプロセスで、「すべてを祝う」と決めたから、その機会を自らが創ったんだ」
それが腑に落ちて、更に理解が深まりました。
実家を売り払う際に、母と同居していた私が実家の荷物を預かりました。(母目線での最低限の持ち出しでも、かなりの大荷物でした)
そして、限られた空間に転居することで、仏壇や家族写真は兄に渡して、使い古した家電や家具を処分する機会を頂いたのだから、虚空の采配は素晴らしい。
(当時の私は、同等かそれ以上の広さの場所に移動したら、断捨離できなかったと思います。)
私が率先して貧困エピソードを公開するのは、もれなく無意識にジャッジする癖を引き出せるからですが、記事を仕上げる過程で、新しい気づきがありました。
生活規模が縮小した現象を受けて、『貧困』というワードを使いましたが、祝うためのハプニングはあっても、何も困っていないし、経済においても、未経験だった新しい可能性が開いているので、「これは、貧困ではない」と。
人間の価値観を用いると、貧困も裕福も相対的なので、誰かにとっての貧困が、他の誰かにとっては裕福だったりしますから、これも思い込みなんです。
ダイオウグソクムシを題材にして脱皮と進化について記事を書いたことがありますが、甲殻類(カニ・エビ)や爬虫類(ヘビ)は、脱皮を繰り返しながら、成長していきます。
先達や自身の体験を通して、人型生命体も、慣れ親しんだ価値観からの脱皮・使い古された所有物の手離しを繰り返して、進化成長していくのを実感しています。
人生最大の脱皮が起きているので、これからの変化が楽しみです!
霊的成長を進むスピリチャルの裏付け担当として、ミミズの姿をお借りしてアングラ活動に勤しんでまいりましたが、もう充分に満足していますので、シフトチェンジさせて頂きます。
それに、自我の消化のプロセスで、迷走する者が続出しているからって、「人間意識で構築したモノコト(現象)が、きれいさっぱり崩壊するから覚悟してね」と先回りしてお伝えするのは、余計なお世話ですもんね。
さて、どのようにシフトしていくのか、皆さまも、楽しんでくださいね(笑)