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肉体への信頼を取り戻す

 

悟りたいわけでもなく、意識の覚醒にも興味がなかった私が、どうしてスピリチャルの道に進んだのか?

 

それは、個人の操作が介入しない、自動展開現象の謎を解くため。

 

 

感情の傷を癒すべく「過去を全部チャラにする」と言うけれど、体験によって知り得た《御神体による意志の発動》を「なかったこと」にしていいのだろうか?

 

そんな問いが ふと浮かび、肉体と意識の結びによって、更なる進化発展に向かう新たな未知が開けました。

 

 

もちろん、意識を極めるのは、素晴らしいです。

 

ただ、真のパートナーである肉体を置いてけぼりにしていたら、意識が覚めたところで、全身全霊の歓びには至らないでしょう。

 

「まずは、意識をなんとかせないかん」と、意識に偏重していた頃は、正解に氣を捕られ、落ち着かない感じでしたが、肉体への信頼を取り戻すと、天地の氣綱をより深く大きく感じられ、安心して『今』に居て、余計な心配はしなくなりました。

 

   

今でこそ肉体を愛おしく感じていますが、長らく過剰に酷使して、肉体をイジメ続けてきたので、あちこち劣化が目立ちます。

 

それはそれで慈しみ、何があっても再生を怠らない肉体の神働きに、尊敬と感謝しかありません。

 

 

いくら自我が暴走しようとも、肉体はいつだって健気に働いてくれています。

 

エゴの言動に、どんなに傷付けられても、出来る限りの治癒力を発揮しています。

 

その事実だけ見ても、肉体が御神体である所以がおわかり頂けると思います。

 

 

まずは、肉体への感謝とリスペクトを基本に置いて、

 

そこから、光の柱を立て直し、カルマの浄化に取り組むと、消化していく(光に溶けていく)感覚が、より明確に実感できると思います。

 

 

肉体の素である光の体を中心にして観ていくと、肉体が期間限定になったのは、人間の強烈な思い込み(プログラム)なのだから、神意識になれば、光の体が素直に肉体まで反映されて、不老不死になるのは、頭でも理解できます。

 

聖書の創世記によると、地球に人が誕生した頃は、900歳代はザラにいましたし、日本では、5朝の天皇に仕え、360余歳で光となって昇天した大臣を祀る神社もありますし、あながち否定できないのです。

 

 

ただ、神魂と和合しても、エゴが昇華されていなければ、意識は傷だらけで汚れたままなので、肉体の働きも変質低下したままです。

 

ですから、カルマの癒しは、霊的成長に欠かせない作業です。

 

 

神意識と御神体が100%和合すると、人型生命体の本領発揮となり、前人未踏の誰も知らない世界が展開されていきます。

 

そこは、先導してくださっている先達さえも、未だ体験していない領域です。

 

 

ここからは、教わった内容ではなく、神々と意氣を合わせて独り歩む未知なる体験へと進みます。

 

「やる・やらない」は自己責任ですし、「できる・できない」はさておき、生まれたからには、魂の成長を全うする。

 

 

生前、社会的普通になるよう説教攻めだった母に、面と向かって「私は魂の成長をするために生まれてきた」と伝えました。

 

全母との契りを、個母とも交わした歓びは、なんともいえない清々しさがありました。