競技かるたでは、読手の声が音になる前の無音(呼吸)をとらえることを「感じがいい」と表現します。
それは、偏見を通す前の、ありのままの音を聴く感性でもあり、スピリチャルにも通じます。
透明な空間を観る感性。
無音(呼吸)を聴く感性。
モノゴトや物質の奥で支えている本質(愛)を観る感性。
その昔、見えない存在とおしゃべり出来る人に対して、羨ましく思っていた時期がありました。
しかし、それは狭小な視野だから出来たこと。
空間全体が自分自身であり、全てが恵(愛実)だとわかれば、他者の才能も自分自身の現れであるとわかると、「ただ、そうである」と認めることに、なんの抵抗も生まれません。
透明な空間を観る感性や、無音を聴く感性も大事ですが、その時に必要なエッセンスを、具現化して教えてくれているのを見落とさない感性も大事。
今の私なら、骨折して動けない状態に置かれたのは、「やたらと動きすぎ」というお知らせです。
頭を使い過ぎる人は、頭痛として現れたり、表出は人それぞれですが、無意識に「使いすぎ」の状態にあると、身体の方がバランスをとってくれるのです。
ハイアーセルフの導きは、あらゆるところで発揮されています。
それに気づくか、気づかないか、それだけの違いです。
特定の理想や「こうあるべき」と決めつけないで、今起きていること全てに対して、ハートを開いて感謝で受け取ってくださいね。