私は寝たきりの母から、『存在しているだけで、他者の才能を放射状に開花させる』まさに神業の恩恵を受けました。
そして、生き様を通して『人間の思い込みが、致命的に生命力を抑え込んでいる』証明を見せてもらいました。
戦中に生まれ、借金しながら苦労して自営の飲食店を切り盛りして3人の子を育て上げ、晩年は、生き甲斐だった仕事も家も引き払い、
自由に使えるお金があり、趣味や地域活動など好きな事をやっていて、交流関係に恵まれていても、四六時中、誰かや何かを心配していました。
「迷惑をかけたくない」という信念から、全部自分でやらなきゃと頑張って、先々のことを考えて用意周到に生きてきたからか、
特定のパートナーがおらず、自営になるも ずっと底這いで借金で生活している同居の娘を心配し、
特性が強く、不登校で人との関わりが苦手な孫を心配し、世間的な普通の枠にはまることが「安心で幸せだ」と信じ、導こうとしていました。
以前は、「心配させる私が悪い」と思い込み、親を安心させるために職に就き、それなりに良い娘を演じていたけれど、
「もはや そんなことしている場合ではない」と、神魂となり、慈愛、歓喜、祝福、感謝で生きていく姿勢を貫く中で、
時にバトルにも見えるような言い合いを重ねながら、少しずつ相互理解を深めていきました。
主張を通すのではなく、全力で本音を表現していくことで、相手の背景を知り、互いに認め合うようになりました。
長らく「理解できない」「ちゃんと収入を確保しろ」と言われ続けたけれど、パンデミックによる人間社会の常識が悉く崩壊してからは、
「理解できないけど、あながち間違ってないかもしれない」と、感謝を態度で示している娘のそのままを認めるようになりました。
世間が揺らぐ中でも、食べたい物を食べ、趣味を楽しむ穏やかな生活に「こんなに幸せで いいのだろうか」と申し訳なさそうにしているので、
「もっと幸せでいいにきまってるじゃん」と言うと、怪訝な顔をして、素直に受け取ってもらえませんでした。
「これが、幸せの受け取り拒否だ」と態度で示し、心配=気に病む状態であり、それが肉体を蝕んでいったのが明確に理解できました。
健やかに生きるには、物理的な条件は関係なく、正真正銘、元の氣が大事だということを、身をもって教えてくれたのです。
人生懸けて証明してくださったことに感謝して、私は同じ轍は踏まないと決めました。
轍を踏む・・・先人のしたことを繰り返す
スピリチャルに生きると決意し、実行されていても、「家族には言えない」方が少なくないようです。
でも、徹底して、感謝、祝福、慈愛を態度で示しているなら、必ず和しますから、意志表示はしても、説得する必要はないと思います。
私の場合、理解ある優しい母親が配置されていたら、伝える工夫も努力も怠っていたと思うので、妥協しない姿勢に感謝しかありません。
そんな学びを経て、
存在しているだけで、他の誰かが輝くなんて、こんなに嬉しいことはない!
そんな母意が しっくりきます。
そこに対象への感謝があるから、輝きが増すのであって、そこに天意がないなら、せっかくの存在も台無しです。
スピリチャルな情報発信をされている方は沢山おられますが、心底から他者の成功や幸せを祝う者であるのなら、
己が体験で理解した『それそのもの(神人合一)になって生きる』者が増えないなら、いくら信者が増えたところで嬉しくないと思います。
もし、最高の伴走者と出逢いたいのなら、「本気で他者の幸せを祝っている者であるか」を基準にしてみてはいかがでしょう。