虚空とか全母という言葉を知らずとも、ゼロポイントが全ての源であることは、日常のあらゆる場面が教えてくれます。
「ゼロは全てのはじまり。そこから出発しねーと何も生まれねぇ」と、名探偵コナンも言っています。
スポーツのテニスの点数は、ゼロ点を「ラブ」と言います。
語源はフランス語の「卵」から来ているそうですが、語呂を拾って「ゼロ点(ゼロ・ポイント)はラブ(愛)」と受け取ると、
愛は神であり、神は創造主であるので、ゼロポイントは全ての源であるのが読み取れます。
これを屁理屈として排除することもできますし、真を知る断片は、昔からずっと 至る所に散りばめられていたと認めることも出来ます。
本当に どれを選ぶのも自由です。
ですから、氣づいている(=覚醒している)状態 が重要なのです。
青太文字をみて、覚醒に憧れや理想を持ち込めますか?
覚醒は特別なことじゃないし、神としての自覚 = 愛としての自覚とわかれば、奇抜なことではないのがおわかり頂けると思います。
本来は自分も神であり、相手も神なので、誰もが対等です。
ですから、神の名のもとに優劣や主従関係が生まれようがありません。
あの世(氣)とこの世(実)は表裏一体で分離できない(『ミクロの氣がマクロ化したものが実』が量子学で証明されている)を知ると、
多くの宗教は人間が創った固定概念であることが理解できます。
先日、法要に参列する機会があり、説法を聞きながら、頑なに進化(新化)しない姿勢を見せられて、確信した次第でございます。
未だに多くのメディアがパンデミック現象を敵対視していますが、実際の生活では、古い価値観から解放された方も多いはずです。
それでも「敵」と決めつけますか?
たとえ、それが人間プログラムにとってのマイナス現象だとしても、氣づいている状態であれば、
そこに天意を観じるし、体感としての愛(温もり・和らぎ)を感じるのです。
そうすると「なんで、これがマイナスなの?」という素朴な疑問が湧いてきて、どれもこれも教え込まれた思い込みだったと理解します。
そして、その理解が深まる毎に、不調和な現象とは縁遠くなっていることに気づいていきます。