「意識が覚醒すると、未知なる才能が開花する」
このような意味を含む表現を見聞きすることがあります。
これは「その通り」なのですが、自我にとっての有利な才能・自慢できる才能の開花を望むなら、そんなの未知とは言いません。
想定内の才能が開花したところで、一時的な興奮に酔い痴れて、エゴを助長していくだけです。
本気で自我の昇華・カルマの浄化に務めているなら、思い通りにいかない体験が起きているはずです。
そうでなければ、自我を光に戻すことが出来ないからです。
覚めた意識で自我を浄化するのは、カタチが生まれる場を整える作業です。
そこに何が生まれるのかは本人には未知数であり、空間におまかせです。
個人の思惑が入らないから、天意の素晴らしい才能が開花していきます。
私は寝たきり母の介護をしていた時、ありとあらゆる才能が一気に開花した感覚を味わいました。(こちらを参照)
「何もしない」ことが、他者の才能を開き、活性化させるなんて、目から鱗が落ちる経験でした。
介護の体験が「苦しい・つらい」と感じられる方もおられましょう。
ただ、私にとっては、介護が「あらゆる才能の開花」に最適だから、必要不可欠な体験だったと認めています。
意識が気づいている状態(=覚醒している)でないと、才能が開花していることに気づくことができません。
このことからも、意識の覚醒は特別なことではなく、繊細な意識状態にあることがおわかり頂けると思います。
これを、人間目線であれこれジャッジするならば、いろいろ批判したくもなりましょう。
そうしたい方は、それで かまいませんが、いつまで続けますか?
意識の覚醒は、霊的成長であり、意識が大人になることです。
メディアでも、日常生活でも、誰かや何かを批判しまくる姿を見て、「大人の振る舞い」だと思いますか?
そう思われるなら、それでかまいません。
しかし、私には「どうみても幼稚さから抜け出せずにいるだけ」にしか見えないので、霊的成長の重要性を観じて今に在ります。
これまでは、先達に倣って、大事なポイントを色分けしてきましたが、自主性を育むべく、ご自身で重要ポイントを見出してみてください。
それだけでも自信(自分への信頼)になりますよ。