子育ての卒乳エピソードを読みながら、
「人は、いつから自らの意志で成長することをやめてしまったのだろう」
という問いが起きました。
卒乳とは、母乳を飲むのをやめること。
※「新生児用ミルクを飲まなくなる」という意味は含まれません。
お母さん方は、離乳食を始めたあたりから「いつ卒乳するか?」を考えるそうで、
・母の意向で断乳する。(胸に怖い顔を書くなど、おっぱいを嫌がるように仕向ける)
・本人が「いらない」というまであげる。
この二つのタイプに分かれていました。
いくつか座談会や体験談を拝読したところ、親が卒乳を催促しようが しまいが、本人にまかせていても、3歳くらいまでには離れています。
赤ちゃんは、時期がくれば、自らの意志でおっぱいを卒業する。
それが普通の自然な成長です。
小学生になっても、母乳を欲しがっているというエピソードは見当たりませんし、知的年齢が幼児程度とされる方々も例外ではありません。
頭で考えだす前のカラダの働きは、「成長しよう・発展しよう」とする天意が素直に発揮しているのです。
では、なぜ、大人になると、頭で考える『成長』に偏ってしまうのでしょう。
それは、「そのように」教育されてきたから。
人間の最終形態のように謳われてきた『意識の覚醒』だって、身体との結びまで至っていないなら、頭で考える成長の域を出ていません。
『人間プログラムを卒業して、神魂となる』のは、その先の自然な成長であり、
神魂(意識)と神体(肉体)で、天意(愛)を体現する生き方にシフトするのは、
「人類の堂々巡りを体験済みにして、先に進む生き方もありますよ」という提案の一つです。
新生児の育児は、大人の思い通りになんてならないし、目の前の赤ちゃんと真剣に向き合っていくから「できるようになる」わけで、
育児書を鵜呑みすれば、完璧な育児が出来るなんてことはありません。
それと同じで、
意識の変容の取り組みは、個人の思い通りになんてならないし、常に今にいて、真剣に向き合っていくから「できるようになる」わけで、
意識の覚醒を謳う講習を鵜呑みにすれば、覚醒するなんてことはありません。
私自身は、結婚も出産も未経験ですから、気づきのヒントとなった子育てエピソードを公開してくださる皆様方に感謝です。
学校の勉強からも意識の変容のプロセスは学べます。
授業で習っただけで、応用問題が解けるほどの理解ができるでしょうか。
本人の「わかりたい」「知りたい」がべースにあって、基本を何度も何度も、腑に落ちるまで繰り返すから、
その奥にある「これってなんだろう?」という新しい発見が起きてくる。
そうやって日々、新しい気づきと体験によって、光の氣綱が太くなり、増々、逞しく成長していくのです。
本日は、卒乳からの気づきをレポートしましたが、『母』という役割を担う人が、意識が変容しやすいわけではありません。
そして、意識の変容とサイキックな能力も関係ありません。
上の次元の音は、常に『天意』に同調していると、感覚でわかってきますから、「誰にでも出来るんだ」ってことがわかります。
これを知ってしまったら、もう「私にはできない」とは言えません。