現在のチャレンジは、『光の存在として、光の働きを観察する』
それも、純粋な光の働きを知りたいので、食事も、運動も、肉体へのアプローチはシンプルにしています。
親の影響もあって、長らく、身体に良い食べ物や、スキンケアや衣類など肌に触れる素材は自然なものを選んでいましたし、
体力をつけるべく、ジムを利用したり、水泳したり、負荷のかかる運動を意識してやっていたので、それまでとは まったくの別人です。
徹底して神氣を放つ(実感する)ことを意識して、そこから起きてくる肉体の老化も、痛みも、ウエルカムで迎え入れています。
まずは、エゴの働きに感謝して、しっかり味わって「体験済み」にして、自我を光に還したいから。
育てているアマリリスを観察していると、植物が枯れるのは、健やかな巡りの一つの形態であり、劣った状態ではないことがわかります。
多年草なので、冬は休眠することで、春に復活します。
その自然のサイクルを見ても、アマリリス本体は、枯れることを嫌がっていないのは一目瞭然です。
これって、人も例外ではないように思います。
枯れない不老不死もいいけれど、枯れた姿も「豊かな体験の一つ。それも美しい」と認める事なしに、何も始まりません。
現在は、肉体の不調を感じても、治療してもらう発想にはなりませんし、健康アドバイスを頂いても、感謝で見送っています。
意図的な+αを投入しない光の働きを知りたいのと、信頼している方の助言でも、それを試してみたいと思わないからです。
一見、無茶な行動に見えても、「どれも素晴らしい」と素直に認めるために、今の私には必要な体験です。
そして、受難の姿勢は、災いやトラブルを引き起こすわけではないという実証になっています。
これが、『私』という一端末における弥栄の意志の発動です。