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幸せを観じる

 

『幸せ』は頭で考えるものでもなく、肌で感じるものでもなく、腹の深奥から湧いてくる、温かい生命の意吹きを観じることで、ここに存在させて頂ける幸せ、無条件の愛が、体幹で理解できます。

 

これは、一般的に広まっている肉体上の体幹ではなく、人型生命体を形成する7つの体の幹となる光のカラダのことです。

 

 

物理の基本に立ち返って『万物は光で出来ている』事実を認めると、科学的なサポートのおかげさまで、頭でも理解できます。

 

このことから、スピリチャルと科学は、異なる観点から、本質を追求している同志なのがわかります。

 

 

これまで敵対関係にされてきたモノコトが融合すると、当たり前ですが、争いようがありません。

 

それを頭でわかっていても やめられないのは、これは中毒だからしょうがないとするなら、人間意識の戦い癖を認めることができますね。

 

 

ヒーリングや治療の現場で、やたらと「戦う」ワードが多用されています。

 

まず、病気やその要因を敵視するのは、「すべて素晴らしい」神意識ではありません。

 

それに、戦いながら癒すのは、アクセルとブレーキを同時に踏むようなものですから、根本の癒しは起きません。

 

 

政治においても、戦う姿勢が、日本社会であれ、国際社会であれ、まとまりを生み出しているでしょうか?

 

ずっとその繰り返しで埒が明かないのを、私たちは学校の授業(歴史)で習います。

 

霊的成長を促すきっかけは、義務教育でも提示しているのです。

 

 

「すべて素晴らしい」神意識で観察するから、これまでの自我の働きに感謝と祝福を送ることができます。

 

光の存在として観ていくと、私たちは、全員、共に栄えていく場として存在しています。

 

 

誰もが、何もかもが、感謝と祝福で敬い合う存在です。

 

それを普通に実行することで、《真の幸せ》が腑に落ちます。

 

 

おまけ:

国道沿いの千手院の駐車場で、デッカイ看板で~まことに帰る~と掲げていて、もはや、真から目を逸らす方が難しいとさえ感じます。