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『導き』の履き違え

 

見えない世界に偏重していると、耳では聞き取れないメッセージに『導き』を求めて、物理次元を直視できないことがあります。

 

 

不調和な現象(問題とも呼ぶ)が起きた時、肉体と共に解決に向けた動き・対応が生じます。

 

これは覚めても、覚めずとも変わりません。

 

なぜなら、覚めたら、個人の都合のいいように現実が展開していくわけではないからです。

 

もし、そんなことになっていたら、地球は均衡を失い、とうの昔に滅亡していると、簡単に想像できるのではないでしょうか。

 

 

覚めていると、起きたモノコトに対して、対策を練ったり、個人の操作を加えずに、

 

その体験ができたことや、付随するエゴ反応に感謝して、素直に対応していくので、自然と解決の道が開かれていきます。

 

 

私の例を申し上げますと、資金の借入が出来なくなり、支払いが滞った時、先方に現状を正直に伝えて、返ってきた提案を素直に受け取って、

 

個人の思惑を一切挟まずに行動していくと、とんとん拍子に動き出し、3時間程度で整いました。

 

 

そこに無音のメッセージは介入しておらず、それぞれの担当部署の方々のメッセージを、私は実行しただけです。

 

この一連の流れから、「あぁ、こんな運ばれ方もアリなんだ」と、スピリチャルにありがちな『導き』の履き違えに気づいた次第です。

 

 

エネルギー(氣)に意識を向けながらも、土台となる虚空に在る・ゼロに和する感覚が曖昧だと、

 

「大きな見えない力が解決に導いてくれるはず」と、願望の色眼鏡をかけた状態で、物理次元を観察していたりします。

 

「自分は、まっさらな弥栄な視点で観察しているだろうか?」と、見直すきっかけになれば幸いです。