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『喜び』の履き違え

 

これは意識の覚醒に取り組む多くの方が、履き違えているように見受けられます。

 

中には、状況改善や心理的な安心感を求めてスピリチャルに興味を持たれる方も少なくないようですので、気づきの一助になれば幸いです。

 

 

「喜びを感じていく」と聞くと、真っ先に自分が楽しめる事(趣味や娯楽など)をやりたがるかもしれませんが、

 

霊的成長においては「全てを喜ぶ自分になる」ので、外側に喜びを求めるのではなく、内側に在る喜び感覚を掘り下げていくようになります。

 

 

もちろん、まずは個人的に楽しいと感じる事を体験することが大事です。

 

でも、これはもう充分味わってきたのではないでしょうか?

 

 

もし、人生において個人的な欲求を抑圧し、我慢してきた方は、「楽しいって何?嬉しいってどういう感覚?」と麻痺していたりしますから、

 

まずは自我の欲を満たす行動から始めるのもいいと思います。

 

 

しかし、充分に味わったのなら、自我中心の喜びは卒業して、

 

外に求めるベクトルの向きを内に向けて、既に在る喜びの感覚(内なる神・内なる光)を育んでいきます。

 

 

自我の喜びは、限定的であり、激しい興奮や高揚感が伴います。

 

神魂の喜びは、無限(常に・あらゆる全て)であり、静寂で繊細な満ち足り感です。

 

このことからも、質が全く違うのがおわかり頂けると思います。

 

 

最初から上手くやろうとしないで大丈夫です。

 

上手くやっているつもりでも、感覚を知ってみると「全然違ったじゃん」ってことが多々ありますから、気にしないのが一番です。

 

 

今回は、ベクトルの向きが違う履き違えですから、外に翻弄されていた意識を、内奥に向けていくだけです。

 

このセリフは、多くの覚者が伝えていることですが、これが腑に落ちるまで実行できる人が少ないのも事実です。

 

 

ちょっとやってみて、揺れ戻しが続くと「こんなしんどいことしたくない」と、止めてしまわれる方が多いです。

(私も幾度となく、逃げたくなりました)

 

今までにやったことがない未知のチャレンジですし、これまで自我中心で構築してきたあらゆるモノコトの喪失・崩壊が起きるので、

 

本気の覚悟と、「今ここに生きている」ことへの感謝と、「常に最高のものが与えられている」宇宙への信頼が必要不可欠です。

 

 

ここまでだと、マイナスイメージを膨らませるかもしれませんが、宇宙は、常に、毎瞬、よみがえりながら、進化拡大しています。

 

身体の細胞が営む新陳代謝と同じく、物理次元も、常に崩壊し、更に素晴らしい新しいものが生まれています。

 

 

物理次元を創っている光の働きが万全に発揮してもらうためにも、最低でも意識が覚醒している必要があります。

 

そこから神としての意識を取り戻し、弥栄発展を体現していく生き方になります。

 

 

このことから、意識の覚醒は、人間プログラムのゴールであっても、人型生命体の進化の最終段階ではないのがわかります。

 

科学の進化に終わりがないのと同じく、霊的存在である人型生命体の進化にも終わりはありません。