あらゆる感情を味わう。あらゆる感覚を味わう。
それは、意識とカラダの共同作業であり、この世に存在しているから実現できる生きている歓びです。
人間の感情の代表格と言えば『喜怒哀楽』ですが、それら全てが同等に素晴らしい感情と認めると、喜びを味わう歓び、怒りを味わう歓び、哀しいを味わう歓び、楽しいを味わう歓びは、どれも素晴らしい体験として認識します。
そして、あらゆる感情に付随した身体反応も然り。
緩んで伸長する感覚を味わう歓び、緊張して萎縮する感覚を味わう歓びは、生命の源である虚空の愛(天意)そのものです。
それを実践するには、人間意識から出る必要があるのは、想像に難くないと思いますが、いかがでしょうか。
こちらでは、人類総出で培ってきた人間意識のポジティブ奨励の裏で抑圧されてきたネガティブ抑圧の偏見を解くべく、長らくネガティブを祝うにスポットを当てて発信してまいりました。
日常文化として、おめでたいモノコトを祝う習慣があったので、ポジティブを祝うのは既にやっていたと思っていたのですが、ポジティブな思考や状況を追い求めるあまり、ちゃんとポジティブな感情や感覚を祝っていなかったことに気づきました。
たとえば、『好き』と『嫌い』は、どちらも同等に素晴らしい感情ですが、人間意識の癖により、『好き』はウエルカムだけど、『嫌い』はノーサンキューだと思っていました。
しかし、中立に思考や感情が引き起こす全身感覚を味わっていくうちに、特に、恋愛に関して「好き」という感情が起こす全身感覚を肯定するどころか、「私なんかが」と自身を否定して、受け入れる前に逃げていたのだと気づいたのです。
そして、ずっと恋愛を遠ざけていたのは、相手と真心で向き合う意志が欠如しているだけでなく、恋愛を低俗とし、見下していたと認めて、ポジティブの祝い残しを認めざるをえませんでした。
よもや、よもや、です。
これを機に、ネガもポジも同等に祝う場にシフトして、中立な発信ができるようになりました。
今後、どのような変化が訪れるのかは、わたしにもわかりませんが、一緒に変遷をお楽しみいただけると幸いです。