今回の北海道旅行は、オーダーを受けてルート作成したもので、個人の希望は一切入っていません。
摩周湖に興味はありませんでしたし、現地で霧の摩周湖を見ても、視覚的な美しさに見惚れただけでした。
それでも、神の湖は、固定概念の解体に一役買ってくれました。
アイヌ語で『カムイトー(神の湖)』と呼ばれる摩周湖には展望台が3つあります。
一番標高が高い第三展望台は、第一展望台と比べると摩周湖の水の色も違う様に見えます。
同じ摩周湖なのに、見る角度や高さによって不思議と色も姿も違って見えるのです。
(川湯エコミュージアムセンターのサイト参照)
このフレーズを読んで、旅館のロビーに置かれていたセルフの水が浮かびました。
昭和な風情漂う旅館のロビーは、フロントとは反対側にあり、気づかなくてもおかしくないほど寂れた静かな空間。
無人のカウンターに、『摩周湖の水・ご自由にお飲みください』と書かれた手書きメモと一緒に、そっと置かれていた水。
さて、それが視界に入るか、否か。
そして、それを口にするか、否か。
口に含むと即座に細胞に溶けて消えていくような言わば「存在感のない水」です。
抵抗や摩擦を感じないのですから、人によって、まったく違う印象になるでしょう。
同じモノを読んでも、同じモノを口にしても、見るモノの角度や高さによって、不思議と色や姿が違ってしまうのです。
外側のカタチに丸投げできないという事実を、認めるきっかけになれば幸いです。