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価値は同等

 

スピリチャルを学んでおられるなら、《すべての価値は同等》と聴いたことがあると思います。

 

これは「すべて素晴らしい」基本に立ち返り、「すべて愛するに値する」「すべて敬うに値する」ということ。

 

 

人との巡り合いも、モノとの巡り合いも、機会との巡り合いも、すべての巡りが、その出現を祝い、感謝する機会を与えてくれています。

 

 

空間は、私たちを祝い、敬い、慈しんでいる。

 

存在していることに感謝し尽くしてくださっている。

 

これは体感と体幹で、日々、観じていると、全身感覚で理解します。

 

 

その天意を全身全霊で授かって、素直に放出(発揮)すればいいのに、

 

そこに自我をねじ込むから、天地自然の法則を無視して、個人の思惑で歪ませてしまいます。

 

神社の鏡について語られる「かがみの「が」を抜くと「かみ」になる」の理屈がご理解いただけると思います。

 

 

私たちは、自分の選択が正しいと思いたいがために、”それ以外”を無意識に否定しています。

 

 

日々の脳内テロップを観察していると、それがよ~くわかります。

 

あまりにも普段からジャッジすることに慣れ過ぎているので(そうしないと、より良いモノが取得できないから)、

 

丁寧に繊細に観ていかないと気づかないと思います。

 

 

具体例を出さずとも、「○○しなくて良かった」という一言は、暗に○○を否定していることにお気づきでしょうか。

 

このように、正当化するための言葉の癖が沢山発見できます。

 

ビックリするくらいディスってます。

 

どんなに表向きの表現を変えたところで、暗黙の否定に気づかないうちは、何も変わりません。

 

 

人型生命体の進化において、

 

これまで精一杯イキってくれた自我への感謝を忘れて、人間意識を下に見るなら、変容なんて出来ません。

※イキっている・・・調子にのる、偉そうにしているを意味する関西弁

 

今の今も精一杯生きているカラダへの感謝を忘れて、肉体を下に見るなら、変容しようがありません。

  

 

最低でも、

 

何一つ否定しない

 

何一つディスらない

 

 

その上で、

 

存在を喜ぶ(祝福する)

 

存在に感謝する

 

 

そして、さらに素晴らしいものになるように、

 

存在の進化発展を意宣いの

 

存在の活躍を祈る

 

 

そうなって初めて、すべて同等に弥栄な価値が与えられ天地自然の法則によって共に栄えることが出来ます。