「天に昇る体験はしたいけど、地に潜る体験はしたくない」
人間意識は、見上げる最高最善が発展していく新体験は歓迎して、見下す最低最悪が発展していく新体験は敬遠する。
「どんな体験も素晴らしい」と祝福し、敬い、感謝しているのが天地自然の愛なので、まずは偏見に気づくことが初めの一歩。
そこから、炙り出される体験の差別を目の当りにします。
先日、毎年恒例の母神祭の提案を受けて、今年も各々で斎行ということで、「いつ、どこで、何をするか」意識を向けてみたところ、即決したのは日時だけで場所と内容は未定ですが、今年も社会的に忌み嫌われ蔑まれているモノコトを積極的に祝っていく祭になるでしょう。
人が羨むような天にも昇る天国体験を祝福する者はゴマンとおられますが、「じゃない方」である奈落の底を突き抜けるような奥へ潜る地獄(地国)体験を祝福する者は本当に少ないです。
わたしは経済の行き詰まりによって、こだわりが持てなくなり、人や物事の癒着が剥がれ、いろんなモノが消失し、裸一貫になりました。
そして、その体験から全一愛・無条件の愛を理解して、嘘偽りなく「どれも素晴らしい」と明言できるようになりました。
おそらく、99.9%の方が経済の行き詰まりは体験したくないでしょうが、そこには天意がない体験の差別にお気づきでしょうか。
エゴの昇華に勤しむ中で、腑に落ちるまで堂々巡りが終わらないのは、天意からの愛の現象化だと気づきましたが、現象だけで判断する癖があると、その奥にある真意に気づきようがありません。
ここでは、魅惑の昇天体験はさて置き、地に潜る泥臭い体験に伴う気づきを公開していますが、最低最悪のキャパが広がると、自ずと最高最善のキャパも広がっていることに気づくと、レッテルを剥がせば、どちらも公平に素晴らしい体験だと素直に認めるようになります。