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介護は気づきの宝箱

 

ターミナルケアの一日のルーティーンを把握できるようになり、久しぶりにパソコンの前に座っています。

 

介護生活一週間程度ですが、一つ一つが新しい体験で、介護は『豊かな体験』の一つなのだと実感しています。

 

 

とにかく、周囲に配置された人々の働きから、薬や介護器具の働きから、「なんて素晴らしい!」気づきと感謝のオンパレードでございます。

 

本当に全てが素晴らしく、どんな偏見も差別も通用しないのです。

 

 

実際の介護の動きをご紹介させていただくと、

 

介護面では、かろうじて歩行器で歩けるため、24時間体制でのトイレ介助、粗相も多々あるので排泄物や嘔吐物の処理があり、

 

食事が摂取できないので、ジュースやアイスを中心に、随時「〇〇が飲みたい・食べたい」という声に対応し、提供していて、

 

何が飛び出すかわからないため、買い置きはせず、その都度、近所のコンビニに走ったりと、小さく細かい作業がひっきりなし。

 

 

医療面では、朝昼晩の内服薬だけでなく、頓服やレスキューの薬を10種類ほど預かっていて、

 

痛み止めなんて麻薬ですから、某医療ドラマの「私、失敗しないので」という心意気で薬と向き合っています。

 

 

常に気は張ってるし、常に動いていて、立って食事する場面も多く、「これは乳児の子育て漫画そのものだわ」と、

 

老介護も乳児の世話も基本動作は似ているのが面白く、もし、人間目線で「小さくて弱い生き物」と見なすとしても大差ありませんし、

 

やっていることも大差ないのに、「あかちゃんは可愛いから苦にならない。でも、老いた者のお世話は苦でしかない」と決めつけるなら、

 

その偏見こそが苦しみの要因です。

 

 

介護する側は、自分本位には動けず、日中に眠くなったり、臭いだとか薬の状況対応などのストレスはあるけれど、

 

神氣を感じながら実行していると、ストレスを溜めることはありません。

 

 

多くの方が悩んでおられるであろうストレスを溜める大きな要因は、作業や対応に、いちいち感情を乗っけているから。

 

光の働きは、毎瞬、更新中なので、自然にしていればリセットされるのに、感情が通気口を塞いでしまい、蓄積されてしまうのです。

 

母も口を開けば「幸せだ。最高だ。」と言っていますし、こんなにも豊かな時空間を過ごせていることに母子共々感謝しています。