私は、思春期に、真っ当な肉体の変化を受け容れられず、わざと成長を阻むような暴挙に出たり、
写真家時代は、紛争や貧困と背中合わせの土地で、体力まかせに動き回りましたが、入院するような病気も怪我もなく、丈夫な肉体が相方です。
しかし、ここにきて、俗に言う「ガタがきた」ような、肉体の節々に痛みを感じるようになりました。
不調を察知する=過去の傷を解放する機会ですから、「魂の成長に伴って、肉体細胞の傷の記憶が浮上しやすくなったんだ」と理解して、
一切、戦わず、厭わず、不調を察知したことを祝い、感謝して、光に還しています。
自分の半生を振り返ると、数年前まで、精神的に貧弱で、丈夫な肉体に頼って行動してきました。
常識や理想に翻弄され、自己を全否定するようなエゴ精神であっても、肉体はいつだって、全力で、常に更新・修復しています。
『肉体は、最初から愛そのものである』と気づいたら、肉体に尊敬と感謝しかありません。
長らく敵視を刷り込まれてきた老化現象に対しても、今では慈しみを感じています。
同じく、人付き合いでも、経済でも、敵視していた対象に対して、慈しむ感覚が育まれています。
このように、しっかり虚空とつながった神意識で行なうと、受け容れ態勢が整う=覚悟ができるのです。
写真家時代を含めて20年近く、一般的に忌み嫌う状況にあっても「生きる歓び」を実感していると、ふいに感謝が溢れてきます。
毎度、何もないのに感極まって、面白いくらいに涙が溢れてきて、涙による自浄作用も相まって、
生かされている ありがたさと素晴らしさを、実感する毎日です。
これは、エゴ欲を満たす見えない世界に傾倒している方には理解できないし、ともすると批判や侮蔑の対象になるでしょう。
多くの支持者に囲まれた先導者に魅せられ、憧れている者には、魅力も旨味も感じられないから。
必要なのは ただ一つ、「そこに天意はありますか?」
天意とは、すべて素晴らしい弥栄の光透波です。
某消費者金融のCMでも、おかみさんが「そこに愛はあるんか?」と問いてます。
「そんなの参考にならない」と思ってます?
もし、無意識にでも消費者金融に偏見を持っておられるなら、今ここで、天意で光に還しましょう。
多くの人が無視するような、些細な日常の一コマに天意を観て発信するのも、私に出来ることですから。