私は、10年かけて発展途上国・新興国と呼ばれる国々に渡り、沢山の笑顔に出逢ってきました。
そして、4年ほど、知的障がい福祉施設のスタッフとして働いた経験があります。
ここでのバカとピュアは、個人的な操作・作為を考えつかない状態を指します。
さて、あなたの周りに『バカな人』『ピュアな人』は、どれだけおられるでしょうか。
昔から、人間社会では、自分より劣っていると見なした存在に対して、バカという言葉を投げかけ、いじめる場面が起きています。
私は『バカな人』と、誰一人としてお逢いしたことがありません。
『知的障がい』の公的基準はさて置き、意思の疎通が出来ないように見えても、行動の節々に人間的知能の高さを感じていました。
先ほど、いじめについて触れましたが、それとは真逆の『弱くて守るべき存在』として、過剰な保護を受ける場面も多く、「どっちも偏ってる」というのが、正直な感想です。
もう一つのお題であるピュアですが、これは、『純粋な人』という意味合いで使われることが多いです。
障がい福祉の利用者や、発展途上国と呼ばれる土地の人々に対して、『魂がピュア』という表現が使われることがありますが、誰もが初発の魂(神魂)はピュアですし、個人的な作為を一度もしたことがない方と、お逢いしたことはありません。
たとえ、覚者であっても、不覚の時代を経ていますから、例外はありません。
知的障がいと認定されたところで、バカではないし、ピュアでもない。
固定概念を外せば、特性ではないし、個性でもない。
私たちの本質は、慈愛、感謝、祝福、歓喜であり、そこに障がいという概念は通用しません。
誰もが『わたしは、あなた(穴多)の一部』ですから、あらゆる可能性の一つとして、それを体現している端末がいるだけです。
さて、これを読まれている あなたの内面は、どのような ざわめきが起きているでしょうか?
批判でしょうか?
賞賛でしょうか?
いづれにしろ、エゴの反応ですから、神魂と一つにして、光に戻してくださいね。
おしまいに、先天性疾患による傍若無人に見える存在は、「社会的「こうあるべき」って、なんだろう?」と、気づく機会を与えてくれます。