まるで常識のように「ウソ(嘘)をついたらいけない」と教わりましたよね。
しかし、なぜ 「ウソはいけない」って決めつけるのでしょうか?
相手を気遣う「優しいウソ」もありますし、不穏な気を察知して、とっさについたウソがトラブル回避になることもあります。
そして、誕生の『誕』の字には、「大げさなウソを言う」という意味があり、
スピリチャルで見聞きする「私達は生まれていない」は本当の事だと、辞典からも読み取れます。
『ウソ(嘘)』を辞典で調べると、「事実ではない」という意味があります。
ですが、『嘘から出た実』という諺にあるように、嘘と事実の境目は曖昧ですし、ウソ自体は良くも悪くもないのです。
では、「ウソがいけないのは、人を騙すから」としましょう。
人を騙すには、言葉が通じている前提があります。
騙すプロでも、言葉が通じない者を前にすると、言葉という武器が消失してしまい、おいそれとは騙せません。
日本人旅行者は、海外でカモになりやすいと言われますが、声を掛けられても、言葉が通じないとわかると、相手の方から離れていきます。
行く先々で、うざいほど声を掛けられましたが、誰一人として食い下がる者はいませんでしたから、体験で実証済みです。
(ちなみに、発語がなくても、幼児レベルでも、相手の意図が理解できて、反応しているなら、言葉が通じています。)
声がけに反応しない態度にムカついて、罵られているであろう場面では、「険しい顔で何か言ってる」程度で傷つきようがありません。
ですから、言葉が理解できて、初めて 騙されることが出来るし、傷つくことが出来るのです。
おしまいに、常々お伝えしている《私達の本質は神(愛の意識)》は、ウソだと思われますか?
もし、『嘘』というフィルターを使って、《私達の本質は神》を受け容れないとしても、
『人類の誕生は、大げさなウソである』なら、一般的な辞典を使って説明できますから、受け容れられますね。
それもイヤなら、単なるイヤイヤ期です。
これも人型生命体の成長過程にあるのだと、素直に認めて 大人になりましょう。
大人になるとは、人間意識を卒業して、神意識に進化(新化)することです。