《相撲は神事》は、昔話の伝説なのか、横綱の取り組み姿勢をみていると、勝ってなんぼのスポーツになっているのが読み取れます。
神事とは、真心・御心で行なう仕事です。
横綱だろうが、序の口だろうが、小賢しく勝ちを取りに行く姿勢は、神事に向かう姿勢ではありません。
土俵に立てる喜びや、後援会など周囲への感謝の気持ちはあったとしても、その取り組みからは、目の前にいる相手への敬意が観えなかった。
それまで全勝しているからこそ、「絶対に負けてなるものか」と、明らかに強い相手を前にして、正々堂々と向き合うのが怖かったのだろうか。
行司は、互いの息が合った立合いを祝って「はっけよい」と発するのが本来の姿だから、ルール違反でなくても、会場全体から戸惑いを感じる取り組みに、「本当に それでいいの?」と。
「勝負の世界なんだから、横綱の名に懸けて、策を練るのは当たり前」という主張は理解できます。
ただ、相撲に神事を観ると、悪くないけど、美しくないのです。
この『美しい』は、横綱たるもの かくあるべき美学ではなく、真心からの取り組みに滲み出る誠心誠意の美しさです。
「勝つために、策士になる」を態度で示してくださったのですから、そこから学ばない手はありません。
人間意識だと「横綱を見習って、自分も立派な策士になる」と戦い方を学びますし、神意識だと「他者はどうであれ、自分は真心で向き合おう」と他多交い方を学びます。
『たたかう』つながりで、今期のドラマに、警察官を題材にした作品があります。
よくある刑事ドラマではなく、日常生活に根付いた交番を舞台にしたお巡りさんが主役。
この副題が、~たたかう!交番女子~
『たたかう』➨『戦う』と解釈しがちですが、犯人を追ったり確保するシーンはあるけれど、よく観ていると誰とも戦っていません。
なんなら、犯人を悪者扱いしないし、地域住民との真心からの関わりを丁寧に描いていて、交番だけに、まさに他多交うシーンが目白押し。
息を引き取った相手に対しても敬意を忘れない。
ここに『たたかう』ひらがな表記の多様性が生きています。
警察官を、生活の安全を促す『巡り』をサポートしている役割として観ると、お巡りさんという呼び方も言い得て妙です。