買い物の帰り道、
「ゆとり世代・さとり世代と呼ばれるように、スピリチャルをオカルト扱いしたり、悟りにこだわるのって昭和生まれまでじゃない?」
「そうは言っても、世界的に宗教が牛耳っているから、一概に言えないね」
そんな会話が脳内を過り、『ゆとり世代・さとり世代』について調べてみました。
『ゆとり世代』は、文部科学省の学習指導要領等の変更による「ゆとり教育」を受けた1987年生まれ~2004年生まれを指し、
1996年~2005年(ゆとり世代後期)を『さとり世代』と呼ぶそうです。
1987年は昭和62年で、その2年後に平成になったので、第一声は、あながちズレていない。
生活に宗教が密着していると、神と人との間柄に年代は関係ないから、世代で分けるのはナンセンス。
確かに、その通り。
このように、個人の思いとはニュアンスが異なる思考が、気づきをもたらしてくれます。
もう一つ。
今朝、シャッターを開けると、薄曇りの空からシトシトと雨が降っている光景が美しく、
「いい天気だなぁ」
と言うセリフが、口を衝いて出ました。
季節の風情を感じる天気を「いい天気」と呼ぶのは自然だし、「いい天気」が「晴れ」に限定される必要はないよね。
と、普段のルーティーンの中で、ごく当たり前の気づきが起きたのです。
さて、この脳内会話や日課から、何がわかったかというと、気づきや発見のきっかけは、変幻自在に、常に与えられていること。
これが気づきに相応しいというような、特定のカタチや思想などありません。
視点が変わると、どの瞬間も、発見のきっかけになります。
映えるきっかけを求めて選り好みしているうちは、変容しようがありません。
疑うのを一旦お休みして、どんな些細な出来事でも、「面白そう」と思ったら、採用してみてはいかがでしょう。