『生きている』を一言で表すと、
あったかい
呼吸している あったかい。
肌のぬくもり あったかい。
こころ 晴れやか あったかい。
弥栄いのる意志氣 あったかい。
ご存知のとおり、死ぬと冷たくなるんです。
呼吸していないと冷たくなる。
血が通わないと冷たくなる。
こころが塞ぐと冷たくなる。
意志氣が抜けると冷たくなる。
え? そんなの当たり前ですって?
たしかに、どんなに低体温でも、身体は常にあったかいのに、どうして、心や意識は 常に「あったかい」状態 でいられないのでしょう?
他者を活かすとは、対象に あったかい まなざしを振舞うこと。
他者を死なすとは、対象に 冷たい まなざしを振り翳すこと。
たったそれだけのことが、自分にも他者にも「自らが差し出したもの」として認知・感知され、倍返しで戻ってきます。
誰かを嫌い、批判したとして、覚めている者は、個人の都合による影響は受けないため、それを味わうのは差し出した本人のみ。
『生きている』は、現在進行形の状態です。
「生きている」のに、あったかいままで いられないのは、「だって人間だもの」と言い訳して、神意識である本質から逃げているからです。