肉体の可能性を把握するべく、ジャンルや世間的評価による品質問わず、「その都度、食べたい物を食べる」「どれだけ食べなくていいのか?& どれだけ食べられるのか?」など、徹底して食欲に向き合ううちに、食物の消化プロセスは、錬金術そのものである 事実に気づきました。
食物の消化については学校でも習いますし、「からだのしくみ」「からだのふしぎ」などの児童書も多数発刊されていますから、お子さまでも理解できる普通のことですが、よくよく観察していくと、【食べたものが栄養(肉体にとって貴重なもの=金)に変容し、体内に吸収され、残りカスは排出される】一連の流れは、身の回りにある食べ物から、栄養という『金』を創り出す、まことに見事な錬金術なのです。
さらに、不要物として排出された糞便は、土に返せば堆肥となり、植物の成長を促進するベストアイテムですから、不要に思えるものであっても「どれも素晴らしい」弥栄な存在であり、永遠無限に循環が営まれていく生態系に感動します。
古事記を通して、登場する神々は、人型生命体に備わっている能力の象徴であると知りましたが、神々の働きは、意識が気づく前から、御神体である体内で実行されていたことを、『食』の消化プロセスに観察することができます。
具体的に申し上げますと、食べ物を噛み砕く咀嚼力、飲み込む嚥下力、胃液と混ぜ合わせて栄養素に分解する消化力、各腸を通って、肉体に必要な栄養を吸収し、老廃物を排出する力が、消化器系の主な能力です。
それらを担っている臓器を見ていくと、肉体を上下に貫通している消化管(口、食道、胃、小腸、大腸、肛門)だけでなく、膵臓、肝臓、胆のうが、さり気なく栄養の消化・吸収をサポートしています。
肝臓や胆のうは「沈黙の臓器」と呼ばれ、末期状態になるまで声を上げない(痛みを発しない)ほど主張しませんが、消化には、どれも欠かせない要素ですから、胃がメインで、胆のうはサブというランク付けはできませんし、どれも素晴らしい神々の連携プレーが現れています。
また、肉体の生命活動において、不要物の排出(排便)は最重要ポイントだと、母の看取りにて、医療従事者の投薬指示から教わりました。
終末期医療では、どんな食べ物を摂取するかよりも、しっかり不要物を出す方が重要であり、生死の境目にくると、摂取は100%本人の希望でOKとなり、食べ物の栄養価や質には一切介入しないのです。
一般的な健康促進論を用いるなら、「生命力が乏しい時こそ、取り入れる栄養や質が大事なのでは?」と思うけど、そうではない。
だったら、世間に出回っている健康にまつわる情報って、一体なんなのだろう?
沢山食べたからって、栄養が全て体内に吸収されるわけではないので、食べる量と栄養吸収は比例しませんし、偏食や「インスタントラーメンやスイーツが主食」など、不健康とされる食生活をしていても、病気知らずの方は大勢いらっしゃいます。
良い悪いではなく、ただ偏っているだけで、世間的評価による栄養価は、さほど生命力に影響してない事例を見させて頂いています。
生命力が低下していると病気になりますが、身体に毒とされるものを摂取しても、毒として作用するとは限らないのは、まさに肉体の神働きのおかげさま。
生きるためには食べることが重要だと思い込んできたけれど、実際のところ、生命力と食物の摂取は別次元なのだと、生命維持のラスボスである現代医療が教えてくれました。
この常識の矛盾から、隠れていた真実の発見に至り、発明王エジソンの言葉にあるように、「もうこれ以上どうにもならない」状態になって初めて、頑なに握り締めていた常識の壁が崩壊し、未知なる道が透けて観えてきます。
おしまいに、食の錬金術に観る霊的成長の神働きは、現実に起きているモノコトや情報を適切に理解し、体験して味わう咀嚼力、体験の理解を体の内奥(虚空)に送る嚥下力と昇華力、カルマに蓄積してきた不必要な老廃物を浄化して光に還す光還力です。
これら総てが、全員の体内に宿る神々の御業であり、この光の循環が、健やかな現実を生み成す弥栄発展のベースになります。