今年に入り、幼少時から慣れ親しんでいた土地を離れ、新生活が始まり、身近な人々の顔ぶれがガラッと変わりました。
ただでさえ淡泊な家族との関わりは、月一行事がスキップしたりして、お目にかかる機会が減っていますし、新年度に入ると、同居人の入れ変わりや職場の人事異動もあり、「居る場所は変わらずとも、人の配置は、否応なしに変わっていく」のを如実に感じております。
そんな周囲の人の移り変わりを眺めながら、「単なるハプニングをトラブルに仕立てる人が少なくない」ことに気づきました。
日頃から、すべてを敬い感謝しているからこそ、隠れていたエゴが浮上するためのハプニングはあります。
人間意識で見たら『なんとしてでも阻止したい状況』が差し迫っていても、慌てず、騒がず、前向きに臨むようになりました。
その理由は、社会的信用を失った人を見下すエゴに気づいたから。
形状記憶合金ばりのカルマの癖が、イメージワークだけで消化できるとは思えないので、私は体験済みにして消化しており、本当に腹を括っているなら「どんな状況もバッチコイ!」と、個人的な都合はさておき、起きる現象=ハプニングを引き受けています。
為す術がなく、お手上げとなって、社会的にアウトとされる状況に置かれても、素直に認めて 受け容れるなら、トラブルにはなりませんし、それまで気づけなかったエゴの疼きがわかるので、たとえ最低最悪な結果になっても「気づかせてくださり、ありがとうございます」と、真っ先に感謝が出てきます。
不都合と思われる現象は、祝えていないエゴの炙り出しですから、その都度、「本当に全てを愛しているか?」の確認が出来ますし、霊的成長の後押しが腑に落ちると、母意の感謝が湧いてきます。
それを認めずイヤがって、保身で攻撃したり、誤魔化す策を練ったりして、向き合うことから逃げているなら、トラブルにもなりましょう。
どんなモノコトも 自分で撒いた種(波動)の発芽(物理化)ですから、それを認めて、実りを祝い 刈り取ることが必須です。