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身体(神体)に学ぶ神の意志

 

国内外問わず、スピリチャル情報を提供している人は沢山おられます。

 

その手の情報収集におかれましては、満腹感を通り越して、膨満感で もたれ気味の方が少なくないようです。

 

 

なぜ、そんなことになるのでしょう。

 

答えは簡単、摂取するばかりで、消化(昇華)していないから。

 

 

身体は、いつだって神の志事をしています。

 

神の意識としての在りようは、身体(=神体)に学ぶと わかりやすいですよ。

 

 

神体として全能力が開花されておらずとも、命が人間プログラムを超えた働きをしているのは、誰の目にも明らかです。

  

 

赤ちゃんが歩き始めるプロセスを見てください。

 

最初は、足取りは覚束ないし、なんども転びながらも、『歩こうとする意志』が萎えることはありません。

 

 

今、普通に歩いているのは、未だ歩いている状態を知らない時から、明確な『歩こうとする意志』があったから。

  

すっかり忘れていても、これは自らが辿ってきたプロセスです。

 

 

霊的成長も同じです。

 

覚束なくて、揺れ戻しでクラクラしても、『魂が成長しようとする意志』が萎えることはありません。

 

なぜなら、これが本質だから。

 

すっかり忘れていても、それを認めて、実践していると、意識が覚めている感覚がわかります。

 

 

「これか!」と感覚がわかったら、そこからがスタートです。

 

なんだかんだ理由をつけて動けずにいるなら、エゴ・フィルターにホコリが溜まっているだけですから、掃除をすればいいんです。

 

掃除のやり方はご存知かと思われますので、あとは実践するだけです。

 

 

今こそ、情報を活かす時です。

 

先ほどの赤ちゃんが歩き出すプロセスを知れば、「思い通りにならない」が、やらない理由になりませんね。

  

 

巷の情報が玉石混交であっても、多角的に発信されることで『意識』を自覚する 裾野が広がりますから、これもアリだと思います。

 

なんであれ、そこに命を吹き込んでいるのは『自分自身』ということを忘れなければ、それはそれとして認めることが出来ます。

 

 

共に栄えていこう!とする意志 が明確であれば、分別しても、差別しませんし、どれを選んでも自分の責任と わかっているなら、情報のせいにはせず、「どれでもOK」が腑に落ちます。