社会全体が、これだけ他者と関わりにくい状況に置かれていれば、
「その気がなくても、周囲と同調しなければいけない」という呪縛から放たれた方も少なくないでしょう。
誰もが愛の意識(神魂)として覚醒する時代です。
愛の意識となり、天意の豊かさを体現して生きるのです。
一人でいる豊かさを知ると、他者の「一人」の豊かさも認められるし、豊かな者同士の関り方が感覚でわかってきます。
分野を問わず、核心を突く情報が、惜しげもなく開示されるようになりました。
それにより、口八丁や印象操作でゴリ押し出来なくなりました。
スピリチャルの仕事をしている人が、必ずしも覚醒しているとは限りません。
人気のある・なしも覚醒とは関係ないですし、見た目や人格も関係ありません。
余談ですが、私が最初の師と出逢った時、霊能力に長けている方が二人いました。
一人は、NPOの理事を務める おしゃれで頼りになるお姉さん。
一人は、無頓着で無愛想なおっさん。
スピリチャルを斜に見てたのに、同行するうちに「おっさんの個人セッションを受けたい」と感じ、彼から教えを受ける運びとなりました。
出逢いの場となった視察旅行に おっさんを任命したのは お姉さんですし、能力の差は感じなかったので、思惑を介さない直観でした。
この方は、意識の覚醒という言葉を知ってから見聞きした書籍・ブログ・動画には一切出てきません。
講習会もなく(個別に日程を合わせて開催)、文字通り、一子相伝で伝えてくださいました。
(ホームページの更新は止まっていますが、情報が公開されていて、自由に閲覧できます。)
対面セッションに備えて 洗い出した大事なポイントが、他の先達から教えて頂いた『新しい情報』として開示された内容と合致して、
改めて、「おっさん、何者?!」と、狐につままれた感じもします。
15年も前から、ホームページに核心情報が無造作に置かれていても、乱用されていない(巷に出回っていない)のは、
情報を置かれていても、「それが何か」が わからないなら 触れようとしないし、情報を知っていても、使い方を知らなければ 活用されない という証明になりました。
それもあって、ご自由にどうぞ なのです。
それに、ストレートな表現が多いため、言葉だけを拾っても、よくわからないと思います。
ですから、どんなに情報がフルオープンで自由に閲覧できるようになっても、対面での講習やセッションなどの 一子相伝の場は必要です。
この師をはじめとする天意の豊かさを体現して生きている どの先輩方とも つかず離れずです。
「これは知りたい」と思えば、参加しますが、基本は音沙汰なしです。
どの方においても、受け取った提案は、ピンときたら実践します。
その実践報告は、ブログの記事に変えて公開させて頂いており、ご本人に報告することは滅多にありません。
その事を知っていてもいいし、知らなくてもいい。
全部、天意を通じて伝わっているのがわかるので、確かな手応えを必要としません。
こんな豊かな関わり方もあるのです。
さて、今ここで、「この世界的な大騒動が収束した」として、
人間プログラムで、恐怖を抑え込んだまま、前の生活に戻る努力をしますか?
神の意識で、恐怖を浄化して、全体と調和した生き方にシフトしますか?
もし、1ミリでも、本気でスピリチャルな生き方を望むなら、
頭も肉体も置き去りにしないで、全てを祝福する 神の意識そのものになりきって、「豊かだ」と感じるモノを選んでください。
豊かな関わりに、断定や制限はありません。
『全てを祝福する』には、全てとの関りが生まれます。