母の身の回りのアレコレは、上限を決めずに、上質で心地よく過ごせる環境とサービスを選択しています。
口を開けば「言葉にならないくらい幸せだ」と言うほどに、人間的わがまま&贅沢三昧を許可し、実行してもらっています。
(これも素晴らしい体験だということをお忘れなく)
それと同じくらい大切にしているのが、私自身にも、あらゆる場面において、上質で心地よく過ごせる選択をすること。
妥協せずに実行していると、『犠牲』という概念は持ち込めませんし、周囲から「おしゃれしてよ」「贅沢しなよ」という声と一緒に資金も整ってくるので、遠慮なく贅沢させて頂いています。
使い道の例を挙げますと、移動時間短縮を優先に、ネット検索でヒットした 自宅から徒歩3分の美容室は、店=個室となっていて、「スッキリしたい」だけ伝えたら、テクノカットっぽい おしゃれな感じに仕上がっており、これも一つの棚ぼた現象。
そして、普段から自炊でも、介護の合間に作る料理は、本人も驚くほど不味くなることが続いたので、しばらく自炊はしないと決めて、流行りのデリバリーシステムを利用して、レストランの味を自宅で味わいました。
このように、いろんな初めての体験を、心躍らせて楽しみながら、表現を摺り変えて、本音を誤魔化すポジティブ思考ではなく、心の底から「豊かな時間を頂いている」と明言できるのです。
さて、このような大盤振る舞い体験だけでなく、どんなベクトルでもOKなので、どちらも同等に『我慢』や『節約』をベースに選択するなら、それ相応の体験と共鳴が生まれます。
そして、「寝たきりだし、認知も覚束ないから」と、被介護者にかかる物資やサービスの質を落としながら、「かかりっきりで世話しているんだから」と、自分にご褒美をもらおうとするなら、その心意気が そのまま返ってきます。
もちろん、どちらが良いも悪いもありません。
今一度、自分が何を選択して、なにを実行しているのか、気づくきっかけになれば幸いです。