①『ワクワク』の幻想
ワクワクに動く = 自分が やりたいことをやる
そんな幻想を抱く方が、少なくないように思います。
そこには、『自己都合の偏見』があるのがおわかりでしょうか。
もちろん、個人的にやりたいことを とことんやるのも貴重な体験です。
ただ、それはワクワクとイコールではありません。
「やりたいこと」という狭い了見に気づくと、「やりたくないこと」も狭い了見でしかないことに気づきます。
どっちもどっちがわかると、どちらでもOKとなり、こだわりや引っ掛かりが消えてしまいます。
偏見を解くと、個人的視野が消えるので、「やりたい」も、「やりたくない」もなくなって、あらゆるモノコトにワクワクします。
本来のワクワクは、いのちの躍動です。
生きている歓喜 であり、いのちの鼓動です。
②『実践する』の幻想
似たようなズレを感じる言葉に『実践する』があります。
常々、実践するを提唱しておりますが、これを聞いて、『動き』や『カタチ(実)』を追っていませんか。
表面をいじると「自分がやっている」達成感と安心感があるし、周囲にも評価されやすいですが、これは、自我を満たす行為です。
それが悪いのではなく、間違いでもなく、偏りなんです。
『動』の源は『静』
空間と合一する静寂が腑に落ちると、どれもこれも全てが価値ある存在として認識されるので、『存在価値』という概念が消えます。
物理的なカタチになる素は『光』です。
『カタチになる前のモト(氣)』がカタチを生み出すのが腑に落ちると、常に神魂そのものの自覚意識状態を実践します。
見えない領域での実践を続けていると、『今』にある信頼が増していきます。