· 

自ら尊厳を祝う

 

《ただ存在しているだけで幸せ》だと腑に落ちるには、それ相応の体験が必要です。

 

こんなにもスピリチャルが広く浸透していて、知識とイメージだけで終わらせられるなら、もっと前から社会全体が変容しているはずですが、そうなっていないのは、カルマの浄化や癒しは、イメージワークだけでは終われないのだと証明して頂いたようなもの。

 

そして、いざ恐怖と向き合う場面に立たされると、「意識が覚醒したら、ハッピーでラッキーな現象しか起きないはず。こんなはずはない」と、既知を回収する責任を放棄して、人間意識の安心安全な策に逃げる者も多いでしょう。

 

 

ここでは人間意識を卒業して、神意識に還って、天意を体現して生きるを示しており、神意識の実地鍛錬をしないなら、いつまで経っても、恐怖の堂々巡りの轍から出ることはありません。

 

ですから、更に未知なる奥へ進む勇気が必要なんです。

 

本来の自ら(=虚空・全母)を信頼し、今ここに存在できていることを感謝し、あらゆる総てへ敬意を払う、天意からの愛が必須なんです。

 

 

人間意識が忌み嫌う体験だって、本来の自らは、感謝と歓びであり、分神である人型生命体が、

 

その状態にあっても、自分や他者の尊厳を祝えるか?

 

を、ただ知りたいだけなのです。

 

 

貧困状態にある自分に対して、尊厳を見失っていないだろうか?

 

紛争状態にある自分や相手に対して、尊厳を見失っていないだろうか?

 

 

それを知るために、現象化しているのだから、しっかり覚めていると、生命(光の存在)の尊厳を祝うことができます。

 

この気づきと、「そういうことか!」と腑に落ちた時の、全身が歓喜に満ちる感動は、言葉に尽くせません。

 

『尊厳を祝う』って、ヘンな日本語かな?と思いつつ、バシッとこのフレーズが意識上に浮かんできたので、そのまま採用しております。

 

 

本日は、終戦記念日です。

 

人間意識による戦い癖を終えるに相応しい記念日です。