意識を中心(虚空)に合わせる
この中心=ご神体の内奥に在る『静寂』(虚空・無の空間)は、物理的な静けさではありません。
果たして、カタチとしては、まったく何もない状態に身を置いて、心底から軽やかに「スッキリして気持ちいい」と言えるでしょうか?
例えば、真っ暗闇の深海の奥底で一人佇む とか、澄みきった地底湖に一人で潜っていくのをイメージしてみてください。
怖くて、苦しくて、身の毛がよだつ全身が震える感覚になりませんか?
ここは素直に自問してください。
本音を誤魔化しても、誰も責めも咎めもしませんが、ご自身を傷つける行為となり、意識の歪みが助長します。
まずは、一人で未知に向き合う自覚を持つこと。
弱音を吐いて、助けを求めても、誰も手を差し伸べることはできません。
なぜなら、自らの内側を観る(内観する)のは、本人にしか出来ないからです。
学生であれ、社会人であれ、世のため 人のために働くことを推奨されてきましたから、
虚空に委ねる過程で、「ただ生きている」だけの状態が続くと、「このままだとダメになる」という過去の傷(恐怖心)が炙り出されます。
そして、蓄えや健康など、安心安全のカタチが崩壊し、消失し、枯渇していくと、
その恐怖から逃げるべく、必死で対策を練り、対処に走り、あるがままに委ねることが難しくなります。
もちろん、対策も、対処も、貴重な素晴らしい体験です。
しかし、それは、もれなく全員が、イヤというほど繰り返してきました。
恐怖や苦しみが浮上したら、浄化の機会を与えられたのですから、その感覚を蔑ろにせず、慈愛と祝福で光に還していきましょう。
本来なら、純粋な光の働きによって、弥栄発展していくのが宇宙の母意です。
私は、その本意を知りたくて、それを体現する生命体へ進化したくて、天意からカルマを浄化しています。
おかげさまで、先達の発信が後押しとなって、体験を通して、それは可能であることがわかりました。
ですから、何気ない日常で実践していく姿勢を示し、体験からの気づきを発信しています。
不自然な感覚が何度も浮上するのは、昇華しきれていない合図ですが、
実践していると、カルマの傷は何層にも複雑に絡み合っているのがわかるので、「カルマの浄化は、一生の仕事」と認識しています。