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精神=純粋な神性

 

今年に入って、急激に白髪が増えたことから、積極的に引き受ける姿勢でも、身内の肉体死を看取るのは、思っている以上にストレスがかかっていて、肉体と精神は親密であることがわかりました。

 

『精』には、「まじりけのないもの・純粋なもの」という意味があり、精神は、純粋な神性を示していて、良心善意を超えた神性は、誰にでも備わっていることが読み取れます。

 

 

人間社会の『結婚』の場において、人型生命体の『結魂』にも通じる宣誓がなされています。

 

《誓いの言葉》

あなたは〇〇を妻(夫)とし、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しいときも、妻(夫)を愛し、敬い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?

 

 

教会の結婚式で、神父が新郎新婦に向かって誓いの言葉を投げかける場面は、実際に参列せずとも、ドラマで見た方も多いと思います。

 

これを人型生命体の結魂に基づいて紐解いてみましょう。

 

 

ありがたいことに、外に探さずとも、既に精神と肉体は共に在ります。

 

健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しいときも、互いを愛し、敬い、助け合い、その命ある限り真心を尽くす

 

要は、どんな状態や状況であっても、互いに愛し、敬い、助け合う(ベストを提供する)

 

それが真心を尽くすことであり、いつ如何なる時も感謝を忘れないことが『結婚・結魂』には必要不可欠なのです。

 

 

いつだって肉体は精神に全てを捧げて尽くしています。

 

これは、からだの働きを見れば一目瞭然で、常に精神に寄り添い、新陳代謝や治癒力をもって、愛を体現しています。

 

しかし、精神=純粋な神性未熟だと、肉体に対して、愛する=そのままを受け容れる ことが出来ません。

 

 

現在を悪い・劣っている状態と見なして、理想の体型や体調を求めて、「良かれ」を押し付けるのが真心でしょうか?

 

自分にとって好都合な時だけ「感謝」を持ち出すのが、成熟した精神と言えるでしょうか?

 

 

親密な関係にあるにもかかわらず、精神と肉体がアンバランスなため、その歪みから不調和な現象が発生します。

 

ですから、まずは、精神を万全な状態に戻す必要があるのです。

 

 

精神が成熟して、肉体を愛するようになると、互いに和合する温もりから、進化発展していく現象が生み成され、それは自他を超えて波及していくのを実際の経験によって理解します。

 

周囲が調和して発展していく様を知り、自らも愛され、守られている実感から、弥栄を理解します。