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空間に溶け込む天意の人

 

生活基盤をリセットしてから、肉体先行の働きとなり、ほとんど頭を使わない日々を過ごしています。

 

表に出る機会があろうが なかろうが、先達から受け取るアップデートを継続していると、自らが置かれた立場から気づいたのは、『天意が腑に落ちた者が、一般社会に溶け込んで普通に生活している』ということ。

 

 

長らく、スピリチャルをオカルト扱いしたり、「悟り」とか「覚醒」とか、一般人には手の届かない特別枠のように扱われてきましたが、一歩引いた所から眺めてみると、どちらもエゴによる脚色です。

 

イエスであれ、シッダールタであれ、本人が偉ぶるのではなく、周りの人間によって歪められてきたのは、歴史を見ればわかります。

 

 

悟りも、覚醒も、ニュートラルな全体意識です。

 

意識が覚醒している=どこにも偏見がないフラットな意識状態です。

 

これの、どこが特別でしょうか?

 

 

ニュートラルな意識の覚者に留まらず、そこから「すべて素晴らしい」弥栄の天意にギアを入れて、生活している者が存在します。

 

いろんな職業に就きながら、天意を発揮していくのは普通の事です。

 

実際に、声高に語ることなく、天地への敬意、他者の尊重を貫いている姿を示して教えてくれたのは、ご近所の爺様でした。

 

 

天意が生きる者は、自然に空間に溶け込んでいるため、さほど目立ちません。

 

この爺様は、地元では名の知れた地主だけれど、いつも土だらけの作業服で歩いているので、一見すると「小汚い」印象ですが、真夏の炎天下の中、草取り作業している背中からは、計り知れない生命力と、感謝と祝福が溢れていました。

 

スピリチャルを学び、天意がなんたるかを理解したなら、日常に天意が生きてこそ、空間全体が活きてきます。