ここでは、植物を引き合いに出すことが多いのですが、植物は、非常にわかりやすく光の特性を体現しています。
日常を観察していると、「私たちは雑草と同質だ」と観じます。
人によっては、自虐にも取れますが、これは最高の祝辞であり 自愛です。
雑草は、場所を選ばす、いつの間にか生えていて、引っこ抜いても、引っこ抜いても、自由 氣ままに生えてくる。
夏場なんか、刈っても、刈っても、容赦なく 天に向かって ぐんぐん伸びていく。
案外、土に根を張った雑草の枯れた状態は、なかなかお目にかかれない。
そして、細くても しっかりと根を伸ばしている姿に、全面的に天地のサポートを受け取っているのが見受けられます。
そんな生命力豊かな存在は、思うままに管理したい者から見れば、目障りで、はた迷惑だったりするのだろう。
雑草に触れながら、そこに意識を合わせていくと、「なんかもう嬉しくてたまらない!」元氣で出来ています。
片っ端から引っこ抜かれても絶える気配がなく、刈られても全然平気な姿は、「これが本来の生命力なんだぞ!」と、身を持って教えてくれる尊い存在です。
こんなにも光の特性に忠実な生命体と同じ質であると わかった時は、感動で震えました。
「雑草ばりに光の特性に忠実に生きたなら、死のうにも、死にようがないよね」って思いましたから。
では、『光の特性』って、何でしょう。
宇宙の起源であるビッグバンによって、「永遠無限に進化発展していくぞ!全員で栄えていくぞ!」という生命の光が四方八方に飛び散って、
あらゆるモノコトを 創造しては崩壊させて、常に変化しながら、進化発展しています。
この『永遠無限の弥栄』が光の特性です。
永遠無限ですから、今も尚、空間全体が弥栄の生命の光で成り立っているのです。
それを踏まえたら、「全ての生命が、弥栄発展する性質を持っている」のは普通のこと。
ですが、これを少しでも否定したり、疑うなら、自身を創っている光の性質が活性化することはありません。
まずは、「私たちは弥栄の光である」と認めて、「今まさに弥栄発展中」と意識し続けること。
ずっと実践していると、それが通常運転となり、「いつだって弥栄発展中なのに、なんで そう思わなかったんだろう」という発見が起こり、
目の前の状況がどうであれ、「弥栄発展中」というワクワクが感じられます。
この意志氣が定着していると、何がなくても「今まさに弥栄発展中!」と、無条件のワクワクが湧いてきますから面白いですよ。
これは、人間意識にどっぷり浸かってきた人類にとって、まさに新体験です。
新体験(神体験)に、特別な行事を追い求める必要はないのです。
こんなにも身近に、誰でも見つけられるほど至る所に、光の特性を存分に発揮している生命体が実在していること、
そして、それは私たちに共通する性質であることへの感謝と祝福が、空間全体に満ち溢れています。