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『神対応』の履き違え

 

ネット上で、よく見聞きする『神対応』は、ごく普通の神対応をみる機会もあれば、人間都合の歪んだ神対応をみる機会もあり、そこに現れる質の違いが、おわかりでしょうか。

 

普通の神対応は、分け隔てなく、満遍なく、全てを受容する天意の行いとなり、歪んだ神対応は、人間にとって好感度が高く、道徳的且つ倫理的に褒められる良い行いとなり、前者は、本質の現れなら、表面的なカタチは、何でもOKになります。

 

これで、神対応に、特別枠はないのが、おわかり頂けましたね。

 

 

神は全ての源(全母)だから、自らが生み出した 全てを愛しているし、感謝しているし、存在そのものを祝福しています。

 

よって、「これは良い、あれは悪い」と差別するのは、人間による裁きです。

 

 

ここで一息、深呼吸~

 

まず、自分自身と空間全体に、慈愛を観じてみてください。

 

「全て素晴らしい」神の目線に戻ってください。

 

 

そこから、

 

今、目の前にある全てのモノコトに、感謝を観じながら、対応してみてください。

 

今、目の前にある全てのヒトたちに、祝福を観じながら、対応してみてください。

 

それが、本来の神対応であり、年齢も、性別も、個性も、人種も、国籍も、宗教や言語の違いも関係なく、神対応は、普段の振る舞いに、さり気なく発揮されるものです。