『 万物に神は宿る 』
神道や先住民族と縁がなくても、多くの方が、この言葉をご存知だと思います。
万物というからには、人にも神が宿っています。
意識には、精神に神がいます。
肉体には、神経に神がいます。
太古の人は、意識も肉体も、最初から神と同質だと知っていたのです。
なのに、冒頭の言葉の一般的な解釈に『人』が見えてきません。
自然や他の動物たちに神を観て敬うのは出来ても、自分や他者に神を観る感性が欠如していないでしょうか。
「人間は愚かだ」として、無意識に人を除外していないでしょうか。
なにより、特定の存在を卑下する扱いを、一体、誰が喜ぶでしょうか。
全ては、万物を活かす光で出来ています。
人が本質に還るのは、「誰もが神と同質だ」と認めることで成されます。
その感性を育んでいくと、身の回りにある道具など、無機質な物質にも神を観ることができます。
昨日、母の友人からお花を頂いた時、生き様の師匠としていた ご近所の爺さまの話題になり、
「いつも朗らかで、毎日、淡々と畑作業していて、全身から滲み出るオーラが純粋だった」と、共通の認識だったことで、
これぞ『生きた地蔵』であり、黙々と愛と感謝を醸し出す生きる姿勢は、本人が望まずとも、周囲に波及してしまうのを教えて頂きました。
これは、なんの気なしの行動が、気づきをもたらす一例です。
ぜひ、日常の中に神を観るエクササイズにお役立てください。