仕事に向かう道すがら、「祝うために派遣されている」フレーズが浮かんできました。
これは、現実を自らが創った自覚がなくても、起きているモノコトを受け容れるのに、わかりやすいメッセージです。
新聞に掲載して頂いたり、あちこちからお声が掛かった笑顔の写真家活動も、『ほぼ全人類が嫌忌を示す貧困や紛争と、担い場所を祝うために派遣された』なら、天意から観れば、あれよあれよと14か国に派遣されたのは納得の展開です。
現在 実施中の食育活動も、インプット(摂取)&アウトプット(提供)共に、体験の場が広がっておりますし、イメージだけではわからない細胞レベルでの嫌悪や拒否を炙り出すカルマの浄化に最適な現場に派遣されていますから、本道を進んでいる確信があります。
どちらにも共通するのは、肉体的且つ精神的にハードワークなところ。
表層の自分の「好き嫌い、損得、遣り甲斐」は、どうでもいい。
本来の自らの仕事は、「現象に関わらず、常に弥栄を体現する」魂の意志の発揮ですから、個人的に受入れ難い現場こそ、「はい、よろこんで!」と引き受けて、従事しています。
当たり前ですが、弥栄の基本は、この世の全てが素晴らしいので、例外はありません。
これまでのお祝いは、ハレの概念に相応しい現象や思考・感情に偏ってきたのですから、これまで忌み嫌ってきた現象や思考・感情にこそ、真の中心に立ち返って、積極的に祝っていく必要があります。
現象に付随させている思考や感情を祝うチャンスに気づかず、何度も何度も繰り返してきたのだと認めると、常識を超えた新しい次元の仕事が観えてきます。
新次元の仕事は、カルマの癒し・浄化であり、徹底して「すべて素晴らしい」弥栄な存在として、敬い感謝していくことが基本作業となります。
慣れてくると、「同じようなことを繰り返すのは、エゴの信念が残っているから」と、冷静に観察しながら、堂々巡りのカラクリもわかってきますし、繊細に気づくようになっていくので、祝福と感謝に終わりはありません。
写真家活動を例に挙げますと、人間意識は「紛争も貧困も祝うなんてとんでもない、祝えるはずがない」と主張します。
よって、思考や感情と一体化して、困窮しているうちは祝えませんし、戦っているうちは祝えません。
なんとかして現状を改善しようと、物理次元にアプローチするのが一般的で、平和活動やら慈善事業が盛んですが、エネルギー交流の笑顔=互いの存在を祝う和魂の体現ですから、その土地に住む人々と笑顔を交わすことが、その土地の癒し・浄化につながっていたのです。
ジャンルを問わず、あらゆる好奇心を実行しておりますが、脱離するタイミングは、腑に落ちて満足した時か、本道からズレていると気づいた時です。
写真家活動から足を洗ったのは、「差別は、自分が創っている」と気づいたからで、その後は、撮影の依頼があっても お断りして、相棒だったカメラも処分しました。
そこから進化した人型生命体の霊的成長促進業務は、現在進行形で公開しつつ、複数の食場に携わっておりますが、心身共にハードでも「しんどい、やめたい」が浮上しているうちは、自分からは辞めません。
なぜなら、ブラック企業態勢が恒常化している飲食業界の真化発展を祈り、個人の思いや感情を祝うために派遣されているから。
そして、表層の自分は「しんどい」と感じていても、深層の自らは歓びで携わっている自覚があるから。
※これは肉体の内奥にあるゼロポイントに集中して観じていかないと、察知できない感覚です。
ネットニュースで、某有名回転寿司チェーン店の暴露記事を読みながら、「ジャンルは違えど、どこも似たり寄ったり」だと知り、業界の真化はもちろん、社会を構成している一人独りの真化が急務だと観じました。
このように、両親への確執で始まった食育活動は、まさかの進化発展を遂げていて、ここにも父母の恩恵を観じています。
祝うチャンスを自ら創ったのですから、敬い、感謝で昇華していくのが本道の仕事です。
先日、立ち寄ったお店にて、大手転職斡旋会社の音声CMが流れてきて、「転職したいけど、やりたいことがわからない。でも、やりたくないことがわかった」というフレーズに、とっさに「その「やりたくないこと」を やるのね」と解釈して、日本社会の新時代の幕開けを観じたのも束の間、「あ、違うか。それは排除するってことか」と旧式思考を懐かしみつつ、「「やりたくない」は、新体験と気づきの宝庫だよ」と、そっとエールを送りました。