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真心は品行方正とは限らない

 

現実世界において、これまで、どのような状況であれ、人間価値観における「出来るだけ良い方」を実行してきました。

 

人間意識から脱皮するとはいえ、全体のために尽くすなら、誰の目にもわかるような誠心誠意の態度を示すことが真心だと思っていました。

 

 

しかし、人間的な善に傾いていたら、いつまで経っても善悪は溶け合いません。

 

エゴの昇華が進み、エゴの着ぐるみが薄れて、根幹である観察意識が主になってくると、これは真心からの対応ではなく、現象に対する反応の癖だと気づきました。

 

 

そこで、頭が何を思おうとも、肉体が感知する不自然な感覚を徹底的に味わうことを優先し、現象への対応は二の次にしてみたところ、それまでとは真逆の行動をするようになりました。

 

あえてでも、これまで「それはダメ」としてきた選択を実行するのは怖いです。

 

「何が怖いのか?」を自問すると、『社会の目が怖い』ことがわかりました。

 

それまでの選択と行動は、最低限の常識は弁えて、先方に悪く思われないように必死だったのです。

 

 

悪い方を実践してみて、真心の誤認に気づきました。

 

使い古した人間価値観では、批判の対象であったとしても、

それを悪に仕立ててきた自分の所為を認めて、光とともに昇華していく作業は、只々歓びそのものです。

 

そこから、真心は品行方正とは限らないことが判明した次第です。

 

おそらく、多くの者が善に傾く癖を養い、好んで発動していると思いますが、それと全て素晴らしいと認める『真心』は別物です。