小2男児と四目並べをした時のお話です。
自陣はさておき、敵陣を勝たせる戦法でやっていたら、
それに気づいた男児も「それ、おもしろい」と、こちらに有利になるような手を打ってきました。
その結果、引き分けとなりました。
お互いが「いかに相手を勝たせるか」に集中していると、譲り合い合戦みたいになって、
全く勝負にならなくて、二人で大笑いしたのを思い出しました。
相手を活かす動きは、自分も活かされてしまうし、その場の空気が和らいでしまうのです。
これは、相手に気を遣ったわけではなく(むしろ男児の方が上手)、ほぼ思い付きで「やってみたいから、やってみた」のです。
写真家時代は、貧困や紛争と背中合わせの現場でも、笑顔しか目に入りませんでした。
こういう現場で笑顔にフォーカスするのは偏ってる?
ジャーナリストの多くは、いかに悲惨な状況かを伝える写真や文章を生み出しますが、現場を知ると、これだって偏りです。
どんな環境であれ、彼らにとっては普通の生活ですから、笑顔は当たり前の光景なのです。
問題提議は他の方におまかせして、どんな場所でも、そこにある輝きを引き出して、『喜びあふれる世界を創る!』心意気は健在です。
ゆえに、自己表現は、自己中心とは違います。