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発想のスケール

 

スーパーのレジ袋の有料化が進んでいますが、小売店の全店舗が実施しているわけではありません。

 

近所のスーパーでは無料配布を実施していて、私がお金を出そうと、財布をのぞき込んでいる間に、袋をカゴに入れてくれたのですが、

 

袋を持っているので、「いりません」と伝えました。

 

 

この一言に、ハッとしました。

 

「「今はいらない」という意思表示だけど、この言動を『拒否』と見なす人がいるかも」と。

 

 

そういった重箱の隅を突くような発で、言動に移せない人がいるのなら、その発想のスケールを見てはいかがでしょう。

 

 

窮屈な発想(自我の癖・偏見)だと感じたら、採用しない。

 

伸びやかまでいかなくても、フラットな発想(中立)だと感じたら、採用する。

 

 

発想のスケールの違いは、何にでも使えます。

 

例えば、『上と下』

 

『上』を調べると、「基準とする点より、相対的に高い方向、または位置」とあります。

 

『下』は「基準とする点より、相対的に低い方向、または位置」となります。

 

フラットな発想で読むと、方向や位置の違いを認識するだけで、優劣はありません。

 

 

不動産業界では、建物の階が上がるほど家賃が高くなるのが常識になっていますが、5階が優れていて、1階が劣っているのでしょうか?

 

それ自体は中立なのに、個人的・常識的な偏見を持ち込むと、「階が違うんだから、対等なわけがない」という主張が生まれます。

 

 

『分別』にしてもそう。

 

多くの地域で、家庭ごみの分別回収が行われていますが、生ごみが優れていて、プラごみが劣っている、なんてことあります?

 

それ自体は中立なのに、偏見によって「生ごみは堆肥になるから〇。プラごみは環境を破壊するから✖」という正論っぽい表現が生まれます。

 

 

こんな感じで、身近な素材から、ご自身で見つけてみてください。

 

やっていくうちに、『偏見に気づいて、中立に観る』が自然に身についていきます。

  

 

自我は、地球で臨場感を体験するためのソフト ディスクであって、それ自体は中立です。

 

自我の癖(思考パターン・感情パターン)が、天意の自然な循環を妨げているだけですから、

 

一つ一つ癖に気づいて、「それはしない」と決めると、癖の出番はなくなります。

 

「イヤだから、しない」ではなく、感謝と祝福で卒業するなら、癖は昇華され、自然な循環が蘇ります。

 

 

これを読んで、取るに足らないこととがっかりしたり、見下している内面の動きを発見されたなら、それが自我の癖です。

 

「あれは良い(役に立つ・ためになる)けど、これはダメ(役に立たない)」と優劣をつけていることに お気づきですか?

 

こういった些細な事として見過ごしがちな思考や感情をスルーしないで、一つ一つ祝っていきましょう。