· 

歓びから受難する

 

霊的な成長には《受難》が欠かせません。

ですから、人間都合のポジティブに傾いたスピリチャルは通用しませんし、「どうかご慈悲を」と、神や仏に縋ることも出来ません。

 

それも、歓びで引き受ける姿勢が肝要です。

嫌々引き受けても霊的な成長には至りませんから、自我の消化不良を起こし、堂々巡りは終わりません。

 

 

これが理解できたのは、実体験を客観的に観察したからです。

 

他所や他者に起きているモノコトを眺めるだけで「わかったつもり」になっておられるなら、それも霊的な成長には至りません。

 

 

天地自然現象を観ていても、大きな分岐点にいるのは、誰の目にも明らかですから、今こそ生き様で示す時。

 

  

「受難なんて、まっぴらごめん」と思われる方が圧倒的多数だと思います。

 

もちろん、霊的な成長を望む者ばかりではないので、どのような生き様であれ、その方の意志を尊重します。

 

ただ、腹を括って、歓びから受難していると、昔は批判していた在り様も「それも豊かな体験の一つ」と認めて、そこに天意からの愛を送るようになり、「どれでもOK」が腑に落ちます。