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朱に交わっても赤くなるとは限らない

 

未だ騒ぎが収束する気配がなく、感染を怖がる人が続出しているようですが、

 

メディアでは、聞けば聞くほど、理解が遠のくような情報が錯綜しているからこそ、冷静になります。

 

 

もし、どうしても情報に翻弄されてしまうなら、

 

インターネット、テレビ、ラジオなど、全てのマスコミ ツールをオフにして、現実の日常空間を観察し、味わってみてください。

 

 

どんなに周囲が粗い波動を撒き散らしても、自身の波動が高ければ(元気であれば)、影響を受けません。

 

 

事実、クラスター発生とされる閉鎖空間の中に居ても、感染していない人もおられます。

 

っていうか、感染していない方が多いのでは?

 

え? 検査していないだけで、実は感染している?

 

・・・なんだか水掛け論ですね。パシャパシャ💧

 

 

気を取り直して、朱に交わっても赤くなるとは限らない 実例をお伝えします。

 

 

『朱に交われば赤くなる』とは、相手や環境の波動と同調することを示しています。

 

あまりにも有名な諺ですが、これは、誰にでも当てはまる法則でしょうか?

 

 

私は写真家時代に、貧困、紛争、病気が蔓延している場所に入って、同じ釜の飯を食い、生活を共にしても、

 

貧困になることもなく、紛争に巻き込まれることもなく、病気になることもありませんでした。

 

 

それは、

 

自ら積極的に 光を映す役目を引き受け、その環境を受け容れて 対等に接していた 

 

からです。

 

 

多くの人が問題視する環境が、問題だと思わなかったので、その状況や環境に対して、さほど同情しなかったですし、

 

愛を放つ(笑顔を共有する・一緒に居る喜びを分かち合う)ことしか考えてなくて、同じ生活環境を楽しんでいました。

 

ですから、今も、起きている事を受け容れて、天意を放つことしか考えてません。

 

 

たとえ、多くの人が眠った意識であっても、ズバ抜けた日本の民の底力は、目を見張るものがあります。

 

政府がアタフタしたり、国内の至る所で歪な動きが顕わになっていても、有事に日常生活を平常運転できる民 は、そうそう多くありません。

 

 

海外の先住民であるマヤや、アボリジニの人達でさえも、

 

天地とつながって生きておられるのは、長老とその教えを受け継ぐ者くらいで、価値観の西洋化・現代化が加速しています。

 

 

「日本もそうじゃん」と言いたくなるかもしれませんが、有事に日常生活を平常運転できるって、精神論を超えた民の底力があってこそ。

 

日本は光に満ちた素晴らしい国なのを 忘れないでください。