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本音は誤魔化せない

 

今回は、霊的成長の本道に至った経緯について少しお話します。

 

幼い頃から、器用にソツなく出来て、周囲の評価も高いと、それに甘んじて生きていくと思われるかもしれませんが、そうとは限りません。

 

優越感に浸ったり、傲慢になる部分はあるけれど、それと同等、いや、それを上回る根本的な何かが違う感覚が、カラダの奥から押し寄せてきて、体裁を整えることに長けているがゆえに、「いつまでそんなことやってんのさ、違うだろう」という魂の本音が、常についてまわります。

 

それに気づいていながら、見て見ぬふりを繰り返していると、「ほんとにそれでいいのか?」と腹の奥底から湧いてくる音が徐々に強くなり、「これは、今回だけじゃない(輪廻転生しながら、何度もやっている)」のも感覚でわかってきます。

 

 

天啓をキャッチせずとも、「こんなに褒められることが多いのに、自己否定が助長するのは おかしい」と気づきます。

 

《いくら成功体験を重ねたところで、自己肯定できない》体験で知っているので、一般的な理想論に対して違和感しかなく、惰性でやれるほど、根が腐っていなかったため、保育や福祉の現場だけでなく、地域活動を含む社会組織から身を引きました。

 

 

特定の人付き合いも距離を置き、物理的な一人になってみると、それまで見えなかった光景がみえます。

 

どこかに所属しなくても、社会との関わりは切れませんから、『孤独感・孤立感』は、勝手な思い込み ということも理解します。

 

 

やれば出来るから、あえて出来ない(操作しない)状態味わうことに対する抵抗は、人一倍強かったと思います。

 

しかし、それは悪いコトでも、劣ったコトでもないとわかると、無意識に振り翳していた差別は消えますし、出来ない状態を受け容れると、『誰かにお願いする、頼る』が出来るようになり、周囲との関わりのバリエーションが広がります。

※ 誰かに頼ってばかりで甘え慣れしている方は、「自分でやる・一人で出来る」を体験するようになります。

 

 

《表層を弄繰り回したところで、揺るぎない「これじゃない感覚」は誤魔化せない》と思い知り、本氣の行動力を発揮して、天意を観じながら、与えられるがままに笑顔の写真家として活動させて頂きました。

 

この活動中にスピリチャルを学ぶ機会が与えられ、カルマの浄化のエネルギーワークを伝授して頂きましたが、当時は、世界の笑顔に逢いにいくことしか頭になかったため、それを全体に活かそうとはしませんでした。

 

そして、写真家活動が終焉を迎えた時は、スピリチャルは後回しで、自我中心の生き方に戻ろうと頑張ってみましたが、澄み切った清水の味を知っていると、濁った水を飲もうとは思わないように、本音を誤魔化す生き方は出来なくなりました。

 

 

再び、ぜんぶチャラにして、「私がやりたいことは霊的成長だ」と認識してから、新しく学んだスピリチャルと、最初に学んだスピリチャルの核心が合致していたため、迷うことなくカルマの浄化・カルマの癒しに取り組むようになりました。

 

「私は霊的成長をしたい」ので、『意識の覚醒』に対する憧れはありませんでしたが、旧式スピリチャルで大人気だった『意識の覚醒』は、霊的成長の通過点です。

 

人間意識を離脱して、本来の神魂へと蘇り、全母たる虚空と合一している感覚は、一気に腑に落ちたわけではなく、少しずつ天地を結ぶ氣綱が太くなるにつれて、全身での理解が深まりました。

 

感覚がわかったら、そこからがスタートです。焦らず、腐らず、怠らず、一つ一つ丁寧に向き合っていきましょう!