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本来の在り方 ~誰も傷つけない~

 

交番勤務のお巡りさんのドラマをきっかけに、退官した男性刑事と現役ロスアンゼルス市警の女性ポリスとの警察トーク動画に行き着き、

 

たてこもり事件の対応の違いから、『誰も傷つけない』本来の在り方を見つめることができました。

 

 

アメリカは銃社会なので、いち早く人質の身の安全を守るために、シューティング覚悟(前提)で強行突破する。

 

噛む専門の警察犬を育成している。

 

 

日本では、人質を傷つけない、犯人も傷つけない、突入する警察官も傷つけない、誰も傷つけない前提(覚悟)で対応する。

 

説得に時間をかけるのは、いくら犯人であっても尊重があるから。

  

警察犬は匂い専門で、噛む担当は育成しておらず、犬に対しても誰も傷つけない前提がある。

 

 

交番ドラマのセリフ「警察官の主な仕事はサンドバッグだよ」というように、

 

どんなに叩かれても、その根底にある誰も傷つけない』基本姿勢を、声高にアピールすることはありません。

 

 

警察の権力を翳したり、個個の不適切言動はさておき、

 

現場の対応は、「正義を盾に、何をやってもかまわない」なんてことはしません。

 

 

昨今、一般市民の間で「自粛警察」と呼ばれる現象が発生していますが、

 

警察官は、中立な立場で、被疑者に対しても、人権を尊重した働きをするため、的外れな表現です。

 

 

普通の警察官は、本人が気づいていようが、いまいが、既に神対応になっていることにお気づきでしょうか。

 

本人にとっては、当たり前すぎて、気にも留めていない言動に神を観ることもあるのです。

 

 

日米それぞれの普通・普段の対応を語ることで、陰の誰も傷つけない姿勢が、表に押し出されているのを、興味深く拝聴しました。

 

ちなみに、かしこまった対談ではなく、ざっくばらんなリモート飲み会だったので、形式にこだわると視野が狭くなる発見もありました。

 

 

加えて、天皇の五輪開会宣言にも、「誰も傷つけない」精神が発揮されています。

 

緊急事態状況下での開催となり、祝福ムードを自粛して『祝い』を『記念』に言い換えた記事は多く出回っています。

 

 

しかし、掘り下げていくと、JOCによる宣言文の日本語訳は、構文的に不自然な誤訳があったのを見抜き、

 

「さり気なく訂正し、本来の宣言文に則った開会宣言になっている」という記事を見つけ、

 

ここにも誰も傷つけない配慮が土台となっていて、それを公に知らしめようとはしません。

 

 

このように、天皇の公務から、『宣明・宣言』『主張』の違いがよくわかります。

 

「警察官も公務だし、天皇を始めとする皇室の方々って公務員なんだ」と、文字通りのシンプルな発見もありました。

 

 

『誰も傷つけない』のは、神魂として本来の在り方です。

 

それを心して言動していても、受け取る側が「傷ついた」と主張する場合もあります。

 

エゴからの発信だったと認めて謝るのもよし、被害妄想なら、そっと離れて相手の進化発展を祈るのもよし、

 

どんな選択であっても、相手への 敬意と真心 から対応をしていると、大事に至らず、声高にアピールする必要もありません。

 

 

私が自我中心で生きていた頃は、良い人・優等生の面構えを盾にして、正義の刃で、片っ端から切りつけていました。

 

大義名分に則って、数えきれないほど、(自分を含めて)やモノコトを批判し、裁いて、傷つけていました。

 

エゴの主張が抜け落ちて、天意の巡りを観じていた写真家活動でも、発展途上国と呼ばれる訪問先に対する差別がありました。

 

 

それに気づいてからは、「金輪際 やらない」 決意して

 

在り方(生きる姿勢)を整えて、天意から言動していくようになり、日に日に、別人になっているのを実感します。