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昇華と涙

 

先日、ミュージカル『CATS』を観劇しました。

 

動物好きの甥っ子との思い出作りに誘ってみたものの、予定が合わず、一人で鑑賞することに。

 

そんな気軽に決めた鑑賞作品が、先達の読み解きのサポートも手伝って、素晴らしい気づきをもたらしてくれました。

 

 

舞台は、満月が輝く夜、街の片隅のゴミ捨て場。

 

長老猫が最も純粋なジェリクルキャッツを選ぶ、年に一度の特別な舞踏会。

 

個性豊かな猫たちの中で、再生を許され新しい命を得るのは誰か。

 

 

全編を通して、キャストの素晴らしい踊りに感動しまくりで、ずっと孤独な嫌われ猫が『メモリー』を歌う中で、価値観の変容が起きて、周囲と和するクライマックスが圧巻でした。

 

 

『メモリー』の歌詞と芝居から読み取れる意訳をどうぞ。

 

若く美しい過去の記憶に縛られ、老いて醜い今の自分を蔑むように、「昔の幸せな姿に戻りたい」と願う。

 

しかし、夜の終わりに古き日は去り行き、新しい夜明けが花開くのを感じると、光とともにある幸せを知っていることを思い出し、「触れて欲しい(全体と一つになりたい)。光とともに私に触れて」と切に願う。

 

 

その全身全霊を込めた歌声は、周囲の猫たちの琴線に触れ、次々と和する触れ合いが起きます。

 

皆から避けられ、一人ぼっちだった者に『幸せ』の変容が起きると、全員に祝福されて昇天していく演出から、『偏見(エゴ)は、祝うことで癒(昇華)され、それは全体の歓びとなる』が、表現されているのが明確に理解できました。

 

 

実生活でも、過去の記憶・執着を手放す決意が、変容を促し、新しい命の蘇りを可能にします。


過去の記憶、すなわち「自我・エゴ」です。

 

これは、猫の姿を借りた人型生命体の進化を祝福している作品であり、世界各国で愛され続けているのは、天意の後押しを観じます。

 

 

自我が昇華され、光に戻ると、古い価値観・偏見が解きほぐされ、形なき固くて重いシコリが洗い流されるような全身感覚があります。

 

劇場では、舞台の感動に加え、「今ここに在る幸せ」の祝福と歓喜の涙とともに鑑賞していました。

 

 

私が今ここに存在できているのは、御先祖様のおかげさまであり、亡母への感情も重なり、今年になって、涙が出ない日はありません。

 

感謝もあれば寂しさもあり、安堵もあれば悲しさもあり、複雑に絡み合っていますが、全部の感情を祝う意識で、存分に涙を流しています。

 

外出時でもマスク着用のおかげで、人目を気にして抑える必要もなく、ただ自然に泣くことが出来ることが ありがたいですし、涙とともに使い古した価値観が、きれいさっぱり洗い流される歓びを観じています。

 

 

これまで幾度となく記事に取り上げているように、親の看取りの気づきは、次々と溢れてきて、書いても書いても尽きません。

 

対象は母ではありますが、これは自分のエゴの投影ですから、記事にする作業は、自我と対峙し、昇華していく作業でもありますので、自他を超えてエゴの全てを光に昇華するべく、余すところなくアップしてまいります。

 

 

今回は、昇華(ショウカ)つながりで、肉体の消化器系の気づきから。

 

在宅介護にあたり、いくつか薬が処方されましたが、徐々に、「薬は飲みたくない」と拒否するようになりました。

 

嚥下は問題なく服薬は可能なのですが、口に入れると吐き気を催すため、薬を飲むのがしんどかったようです。

 

 

終末期医療は、概ね本人の希望を受け容れてくださいますが、「これだけは絶対飲んでください」と言われた薬がありました。

 

それは、下剤。

 

かなり拍子抜けしましたが、これは 生命活動において、常に不要物を排出する重要性を示しています。

 

 

使用済み残骸の集大成である糞便は、常に排出していないと肉体に毒の作用を及ぼすのは ご存知かと思います。

 

肉体と意識は表裏一体なので、体験済みの感情、古びた思い出を常に昇華することの重要性を示しています。