先達ブログにて「日常生活の全て(家事や会話)を、神事として行なっているか?」と問いかけられ、
「そこまでやっていなかった」と認め、早速、日常の全てを『神事』として行なってみたところ、
全体的に すごく静か になりました。
自宅を神殿とし、出向く場所の全てを神楽殿とし、呼吸から何から天地に奉納するような意志氣で行なっていくと、
家事の所作や、他者に向けた声のトーンが やわらかくなり、歩き方も、話し方も、和らぎそのものになっているのです。
感謝も祝福も、声高に叫ぶ必要はなく、全身で静かに観じていくものです。
内側が満ちてくると、外(声や態度)に出したくなってきますから、自ずと表現したくなります。
それは自然と発せられるものなので、押し付けがましくなく、サラッと心地よく通り過ぎていきます。
今ここに命が生きているのは、天意であることがわかり、ただただ感謝が湧いてくるし、存在の全てに祝福したくなるのです。