写真家時代の名残で、【頼まれたことは一切断らない】と決めて、片っ端から頼まれ事を引き受けていた時期がありました。
しかし、それをやっていくうちに「ん? これは違うかも」という気づきが起こり、断るのも大事な役割だと知りました。
・権威、正義、我が物顔 の圧を感じたら断る。
(過去が製造した立派なウンチ(古い価値観の残骸)を水に流す機会を奪うから)
・数合わせなら断る。
(数が揃わない方が、宇宙にとって都合がいいから)
・「困っている」、同情するなら断る。
(気づきのチャンスを奪うし、何よりも相手に失礼だから)
ラスト項目には、異論・反論を唱えたい方もおられましょう。
毎度のことですが、ご自分の声の方に意識を向けてくださいね。
同じ状況にあっても、困る人もいれば、困らない人もいます。
【困っていたら助ける】のが、人として当然だと思われるでしょうが、それを繰り返していたら、いつまで経っても貧困発想のままです。
不思議で面白いのが、たとえ苦境に立たされても、困っていない人に、多くのサポートが巡ってきます。
困っていないのは、『困る』という概念を持ち込まないから。
その時々に置かれている状況を受け容れて、適宜、ベストを尽くします。
頼むなら、素直に「お願いします」と言えばいい。
誰かに頭を下げることになったとしても、「困っているから助けて欲しい」ではなく、誠意ある対等な依頼になります。
平等や公平という言葉を、個人の都合で乱用しないでくださいね。
生まれつきの疾患で障がい認定を受けている知人に、「不自由だと思ったことがある?」と聞いたところ、
「これが普通だから、わからない」という、真っ当な返答をもらって、納得したことがありました。
明らかに不自由な場面が少なくないと思われるのに、本人は「普通」であって、不自由ではないのです。
『不自由』を『困る』に置き換えても同じこと。
本人は「普通」なのに、一方的に困ってるレッテルを貼っていることもあるんです。
今でも、頼まれ事は引き受ける姿勢でおりますが、違和感を覚えたら、迷わずお断りしています。