人間意識にどっぷりハマっている時にも、貧困、病気、確執は起きますが、あらゆる全てに慈愛、祝福、感謝、歓びを観じていても、本音から祝えていないモノコトが浮上します。
本音とは、全母としての意志のこと。
光に還す意志が明確だからこそ、貧困であれ、病気であれ、確執であれ、「骨の髄から祝えていなかった」と認める機会を与えられたのだから、「何度も繰り返すのは、やり方が間違っている」とするのは早計かと。
対象を敬い、感謝することが、そのまま祝福になります。
貧困に対して、本音から敬い、感謝してきたか?
病気に対して、本音から敬い、感謝してきたか?
確執に対して、本音から敬い、感謝してきたか?
これらを自問していると、本音から祝えていなかった現象が、繰り返されています。
敬意が欠落した上っ面の感謝では、光に還るわけもなく、文句が出るのは図星ですから、まずは、認めることが初めの一歩です。
これは、私自身の経験から わかったことです。