支出や借金に対して、イヤなモノととらえていないでしょうか?
私自身が強く囚われていた固定概念ですので、よくわかります。
でも、それも単なる偏見です。
支出がないと、循環は生まれません。
事実、使いたい(支出したい)から、お金を欲するのですもの。本当は、支出は嬉しい出来事なのです。
借金に対しても、イヤなモノに仕立てる必要はありません。
借りて、返すという循環が、コミュニケーションを生んだり、気持ちよく使いまわすことで、全体繁栄に貢献しますから。
頑なに拒否してきた方には、突破口となるハプニングは起きます。
これは、否定を解除するチャンスというギフトです。
それが起きた時に、感情に呑まれることなく、新しい可能性に着手する勇気が試されます。
社会的に容認されている可能性でさえ、偏見で見下し、頑なにNOと決めつけているのなら、罪悪感と恐怖が湧くことでしょう。
頭で許可を出せているつもりでも、実行に移せないなら、それは許可したことにはなりません。
100の妄想より、1の体験です。
スタンプラリーのスタンプを押すくらいのフラットな感覚でやってみてください。
やってみると、体感でわかることが沢山あります。
適正距離で付き合うなら、依存にはなりません。
1回やってみて、もう充分だと思えばやらなくていいし、そこに対する偏見がなければ、いつでも自由に使えるようになります。
一時的に大きな借りを作ったとしても、それは循環させる器を広げるためだと理解できます。
それまでのチマチマした感覚が可愛くみえます。
偏見の解体とは、思い込みを解くこと。
今では、「お金の動きは、天意(愛)の舞。自由に美しく、楽しく舞って頂きたい。」と、動きがあること自体を楽しめるようになりました。
通過してくれたことを、祝い歓び、感謝で奉る。
そうなると、支出も収入も歓びの循環になるのです。