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手間暇かける志事

 

先日、自宅でこし餡を作っていた時のこと。

 

小豆を煮て、ざるで濾して、数回、水でさらした後、手ぬぐいで絞り、カスの塊を鍋に放り込み、砂糖を入れて煮込むのですが、和菓子屋のレシピによると、「強火が肝心。ここで怖がって火を弱めないこと」とのこと。

 

強火で煮ると、餡が元気に飛び跳ねます。

 

でも、焦がさないように混ぜ続ける必要があるので、手を鍋から遠ざけることは出来ません。

 

 

容赦なく、所かまわず飛び散る餡の分身たち。手にも、ガス台周りにも、壁にも、熱い小豆色の雨が降る。

 

火傷と斑模様のキッチンを見ながら、「なるほど、怖れるなとは、こういうことか」と納得し、無事に仕上がって実食タイム。

 

うん。たしかに、美味しい。雑味がなくて、普通においしい。

 

 

小豆を柔らかく煮て、砂糖を加える粒餡作りはマメにやっていましたが、甘味の調整はしても、仕事ぶりは雑でした。

 

実際に作るからわかる、痛みと掃除の労力を厭わず、「美味しい餡を提供したい」という意志のモトに生まれる職人レシピの奥深さ。

 

 

企業の商品開発によって、機械でも「数値化された美味しい餡」が作られていますし、近くのお店で手軽に購入できます。

 

餡に限らず、手間を省いたり、時短料理が重宝される時代にあっても、食材やその日のコンディションとの対話で作り上げる手間と時間がかかる仕事が廃れないのは、数値化できない旨味・深味を、誰もが知っているからでしょう。

 

 

これは、損得を超えた天の意志が成す作業だから『志事』です。

 

私たちは、宇宙のひな型ですから誰もが、宇宙の意志を受け継いでいます。

 

私の内にある弥栄な宇宙の意志を認めて、(意識的に)全体を活かす働きをするか、私と宇宙の意志を分離して、(無意識に)エゴの都合を優先して行動するか、それだけの違いです。