· 

愛と感謝と祝福の神柱

 

母が他界し、本人の要望通りに着替え、化粧をし、息を立てずに眠っている母を見ながら、「人って、こんなに美しいものなんだ」と、ただただ感動でしかなく、悲しさより、感謝の涙が とめどなく溢れてきます。

 

強い確執になっていたカルマの癖が溶解して、サラサラと洗い流されているようで、これも体感でわかる昇華の感覚です。

 

 

ほんとうに美しい。

 

自我が抜けると、神体は こんなにも純粋な美しさを放つのか。

 

 

それだけで、存在そのものが宇宙から祝福されているのが伝わってきます。

 

それと同時に「人の本来の美しさが、死ぬまでわからないっていうのは無粋すぎやしないか。」というおもが湧いてきました。

 

 

『人の身体は、最初から神体である』のだと認めざるを得ないし、亡くなったところで、肉の塊とは思えず、

 

人は、生き(息)ていても、息をしていなくても、愛と感謝と祝福の神柱なのだ。

 

と観じつつ、「歓喜は生きている喜び」だから、物理次元に在るを味わえる=進化発展できることが、の至福なのだ。

 

 

人の本質は、慈愛であり、感謝であり、祝福であり、歓喜である。

 

まさに、その通りなので、より一層の確信をもって お伝えできます。

 

 

これが無言の母からの学び。

 

こんなにも素晴らしい気づきを与えてくださる存在に、感謝と祝福しかありません。